月の輪通信 日々の想い
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2004年03月22日(月) 春の便り

実家の母からの小包が届いた。
大きな菓子箱にいっぱいのいかなごの釘煮。
箱のまま、食卓の上に置いておくと、誰彼ともなく指でつまんで味見していく。
そばに白飯も一緒に置いてやろうかしらん。

この季節、実家のあたりではどの家も競うようにいかなごを煮る。
体長3センチばかりの小魚を近所の魚屋でキロ単位で買ってきて、大きななべで、生姜とともに甘辛く煮る。
各家庭で炊き方や使用する調味料が微妙に違っていて、どこのおかあちゃんも、密かに「うちのが一番」と思っているに違いない。
シーズン中何度も炊いて、あちこちへ配る。
あちらの郵便局では「いかなごパック」といって、密封容器と郵送料をセットにした発送サービスもあるそうだ。
ごたぶんにもれず、我が家にも毎年、母からのどっしりと重い釘煮の宅急便が届く。
我が家からまた、義父母のところへおすそ分けし、父さんの恩師やらお世話になった方やらへ定例どおりにお送りする。
「毎度同じ品で恐縮ですが、春の便りでございます。ご賞味ください。」
包みに添える手紙の文章も定例どおり。
「いま、届いた。さっそく一杯やっとるぞ、ありがとう。」
到着と同時にご機嫌よくお電話を下さるM先生。
毎年変わらぬ習慣が、今年もつつがなくおさめていける今日の幸せ。

近頃では我が家の近所の魚屋でも、生のいかなごが店頭に並ぶようになった。
水揚げされたその日のうちに、さっさと煮上げてしまわないと質が落ちる地域限定の郷土料理であったはずだが、ここ数年、流通の範囲が広がったのか、明石から100キロ離れたわが町にも昼網の時間に合わせて袋詰めされ、商われるようになった。
郷里のスーパーと同じように、いかなごのそばにはしょうゆやザラメ、密封容器まで同じコーナーに集めて、レシピを添えて売られている。
「そろそろ私も一人で炊いてみようかしらん」
ここ数年、出始めのいかなごを目にするたびに思い立つのだけれど、ぐずぐずと引き伸ばしているうちに、実家からどっしりと宅急便が届き、ついつい機を逸する羽目になる。
「いかなごをちゃんと炊けて一人前」という播州の花嫁の条件を今年も満たさぬまま、母の釘煮をまたつまむ。
母が今年もたくさんのいかなごを煮て、あちこちへ発送することが出来るのは、母の身の回りが穏やかで健やかに動いているという証。
だから、今年も母の釘煮に甘えて過ごす。
ありがたく甘い母の味。
感謝、感謝。

「いかなご、ついたよ。ありがとう。」
母に電話したら、珍しく父が受話器を替わった。
何かしらと思ったら、いつも聞きなれない改まった言葉で、父が私をほめてくれた。
実家の両親は、この日記も欠かさず読んでくれており、子供達の成長や父さんの仕事のことなどをしょっちゅう気に掛けてくれている。
父母の手元を離れ、4児の母、窯元の奥さんをばたばたつとめる娘の日常を「よしよし」とうなづいて見守ってくださったか。
一人で猛然と髪振り乱して走り回っているつもりでいたここ数日の私の後ろに、暖かい父母の見守りがあったということ。
春の便りとともに、気づいた父母のありがたさ。

「まだまだ、いかなごは一人では炊けない。」
「母」であると同時に、自分がまだ誰かさんの「娘」であることの嬉しさを十分に味わって春を迎える。


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