月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
アプコといつものように園バスへの道を下っていた。 春めいた日差しが気持ちよくて、足元にくっきりとまとわりつく影をお互いに踏みあいっこしながら駆け下りる。 小さいアプコともつれるように絡み合って走るのは楽しくて、年甲斐もなくきゃあきゃあ言いながらアプコの影を追った。 後ろから車の近づく気配がしたので、アプコの手を引き寄せ、道の端による。 後ろから来たのはご近所のNさんのご主人の車。 すれ違うときにゆっくりとスピードを落とし、窓を開けてNさんがにこにこ顔を出した。 「楽しそうやねぇ。」 しまった。 誰も見ていないと思っていたのに、珍しくはじけた私のふざけっぷりをNさんに目撃されてしまった。 ひゃっ、恥ずかし・・・と思ったけれど、バイバイと手を振って再びスピードを上げていったNさんの表情はとても優しくて、アプコと私が遊ぶ様を微笑ましく見守ってくださっていたことがよくわかる。 自分ではそのとき気づいていない、母であることを喜んでいる私をNさんはほんの通りすがりの一こまの中で感じ取って、私にほめてくださったのではないかと思われた。
昨日、私の実家へひいばあちゃんの法事に出かけて、日ごろお会いすることのない親戚の人たちと久しぶりにお会いした。 どの人も、私が4人の子供達を何とかここまで育ててきて、倦む事もなく子育てを続けていることをそれぞれにほめてくださった。 アユコがお客様へのお茶出しを進んで自信を持ってつとめたこと。 アプコが自分より小さい従姉妹のAちゃんと仲良くおとなしく遊べること。子供達の小さな行為の一つ一つを「よく、ここまで育てたね。」と人生の先輩達にほめていただくということは、これからまだまだ続く長い子育ての日常に嬉しい花の冠をいただくことだ。 大事に育てた子供達のことを、誰かにほめていただく、これまでの労をねぎらっていただくのは嬉しい。 もうひとがんばりしなければと思う。 「ええカッコさせてくれてありがとね。」 子供達にも感謝、感謝。 誰かが私の子育てをどこかで見守ってくださっている。 それを知ることは明日の育児の力となる。
私の子育ては果たして周りからよく評価されているだろうか。 そんな気持ちを常に持ちつつ子供と接することは、とてもしんどいことだろう。 でも、思いがけない場面で思いがけない人から、「楽しそうだね。」「よくがんばって育てているね。」と声を掛けてもらうということはとてもとても嬉しいことだ。 そんな場面を見つけたときには、私も声に出してその人をほめよう。 「がんばってるね。」 「いい子に育ったね。」 それはきっと誰かの明日の力になるはずだ。 誰かからいただいた嬉しいお褒めの一言を、今度は私が誰かにお返ししたい。 自分のことでめいっぱいの私にできるささやかな子育て支援。 このくらいならできるかもしれない。
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