月の輪通信 日々の想い
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2004年03月12日(金) 「子供が好き」という幻想

先日、話題にした大家族のドラマ。
「なんで子供をいっぱい産んだの」
の答えは思ったとおり「子どもが好きだから」だった。
「自分の子だもだけでなく、よその子でも、一生懸命な子供の姿を見ていると嬉しくなっちゃう、とにかく子供が好きだから・・・」
子沢山の肝っ玉母さんは、うるうると輝く瞳で高らかに宣言する。
「やっぱり子供が好きだから・・・」

「私は4児の母」というと、「きっと子供がすきなのね。」と帰ってくる。
確かにわが子はいとしい。
大事に大事に育ててやりたいと思う。
どの子にも等しくいっぱいの愛情を注いでやりたいと思う。
でも、それはあくまでもわが子への愛。
よその子までがわが子同様大好きだとはとても言えない。
少なくとも最近の私には、そんなことは言えない。
子沢山の母は子供好きというのは、大きな誤解だと思う。
私に関しては、そんな幻想は抱いてもらいたくない。
そう思う。

アユコのクラスでとてもとてもいやな事件があった。
メールを使って、大人顔負けの卑劣な手段で特定の子をだまして、辱める。
そのテクニックも巧妙で、立派な犯罪のレベルだと思う。
その被害者の立場に、正義感のアユコが立たされた。
担任の先生や同じく被害にあった子のお母さんとともに、ここ数日その事実確認に追われていた。
子供のいたずらといいながら、私は相手の子供達やわが子の卑劣な行為に気づくことのできなかった親達を許すことができそうにない。
「子供のやったことですから、しょうがないですね。もう二度とやらないでね。」と丸く収めることは多分できないと思う。
私は相手の子供達を激しく憎む。
思春期の繊細な少女の心を踏みにじった子供達を前に「やっぱり私は子供が好き」とは、とてもとてもいえないのだ。

何があってもわが子を守ってやりたいと思う。
心も体も全部大事に守ってやりたいと思う。
だからアユコのガラスのハートを傷つける子供をかわいいとは思えない。
いくら子沢山だからといって、今日のドラマのようによその子のいたずらをわが子同様に親身に叱ってやったり、「一人くらい増えても平気よ。」とよその子を簡単に預かってやるようなことは私はしない。
子沢山の母なら誰でも寛大な心を持つ肝っ玉母さんに違いないという幻想は、持たないでもらいたい。

「子供が好き」というだけで、あんなふうに明るい子育てができるというのは幻想だと思う。
いつも明るく、子供達に優しく、気持ちにムラがなく、いつも最大限の愛で子供達を包む。自分の子も他人の子もみんな等しく健やかに成長することを祈る。
そんな理想的な母の姿を、自分にも他人にも期待したくない。

いつになく激しい気持ちが次々にあふれて留まることがない。
その心のままに、わが子を守るために戦いたいと思う。
傷ついてしまったアユコの心を癒すためには、母が自分のために捨て身で戦っている姿を見せるよりないと思う。

私の日記を見て、「子供が好き」と胸を張っていえる母親になりたいと感じてくださった方がある。
申し訳ない。
今の私は「そうね、そうなるといいね。」とは言えない。
まとわりつく子供をまどろっこしいと思うことも、わが子に危害を加える子供に憎しみを抱く気持ちも、どちらも厳しくもおろかな母の激情の一つなのだ。
そんな激しい想いなしに、母は本当に心からわが子を大事に守り抜くことはできないような気がする。

「やっぱり子供が好きだから・・・」
予想していた答えではあるけれど、しらけきった思いでドラマを見た。
私はおろかな母親かもしれない。


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