月の輪通信 日々の想い
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玄関を出たら、ちょうどお隣のお風呂場の窓のところから、若い男の人の鼻歌が聞こえた。 お隣のお兄ちゃん、お風呂場のお掃除でもしてるのかな。 いまどきの若者らしく、道で出会ってもひょいと形だけアタマを下げて行き過ぎる無愛想なおにいちゃんだけれど、今朝はご機嫌なんだな。 なんだかこっちまでご機嫌よくなっちゃって、くすっと笑ってしまった。
幼い子供達とすごしていると、日々の生活の中で歌を歌うことが多くなる。 カラオケは大の苦手。 決して麗しい美声でもなく、音程もどこか怪しい歌だけれど、子供達は母の歌を楽しいおしゃべりのように愛してくれる。 子供達自身も、気分よく落書きをしているとき、 初めてのお手伝いでワクワクしているとき、 そしてお天気のよいあぜ道をピョコピョコとスキップするとき、 いつとも知れずでたらめな鼻歌がこぼれ出て、聴いているものを笑わせてくれる。 小さい子供達の生活は歌に満ちている。
結婚前、私は養護学校で数年間、講師の仕事をしたことがある。 「中等部」といいながら、新米講師の主なお仕事は幼児レベルの子供達の食事や排泄の世話、肢体不自由の子達の介助、激しいパニックを起こす自閉症 の子達との戦いだった。 見るもの聴くこと初めてのことばかり。 発語のない赤ちゃんのような中学生を相手に何を話していいのかすら見当もつかない。 とりあえず先輩の先生方を真似、機械のように押し寄せる雑用を一つ一つ片付ける。実際、それだけで精一杯。 うちに帰ると即座にバタンキューの日々だった。
少し仕事になれて、日常の介助や授業の手伝いがようやく板についてきたころ、私はぽっかり穴に落ちた。 今思えば「育児ノイローゼ」のようなものだったのだろうか。 子供達の成長は気が遠くなるほどゆっくりだ。 昨日「できたね!」と喜んだことが、今日はもう元に戻っている。 同じ失敗を何度も何度も繰り返して屈託がない。 靴を履かせる、ぬれたパンツを替える、こぼしたミルクを片付ける。 初めて担当したSちゃんは言葉を話すことができない。 毎日一緒にすごしているのに、彼女の言いたいことや喜怒哀楽がいまいち理解できない。 イライラに任せて子供達を気まぐれに叱ってしまう。 「何やってるんだろう、私・・・」 ちょうど5月病の季節だった。
「そんなときはとりあえず歌を歌いなさい。」 いつも同じチームで子供達と接していた年配の先生が教えてくださった。 自分のイライラを子供達にぶつけてしまいそうなとき、 何を話して良いかわからなくなってしまったとき、 自分の心が子供達から離れたがっているとき、 とりあえず手当たり次第に歌を歌う。 子供の好きな童謡でもいい。うろ覚えの英語の歌でもいい。 耳について離れないコマーシャルソングでもいいから歌って御覧なさい。 「歌いながら怒っている人はいないでしょ。」 当時、もう定年間近だった穏やかなO先生はニコニコ笑いながら、私の肩をたたいた。。
不思議なことに、私がイライラしたりモヤモヤしたりしていると、その気持ちは必ず子供達に伝染する。 心も体も疲れ果てて、ついつい毒のある言葉を子供達に吐いてしまいそうになったとき、私は試しに「ぞうさん」の歌を歌ってみた。 馬鹿馬鹿しいほどのんびりした単純な歌。 でも効果はてきめんだった。 そばにいた子供達がいつの間にか一緒になって歌ってくれた。 「何を思っているのいるのか理解できない」と感じていたSちゃんが、私に体を摺り寄せてひゃあひゃあと声を上げた。 そして、きんきんと苛立っていた私の気持ちもいつか穏やかにほぐれていった。 歌の力はすごい。 O先生の下さったアドバイスは、その後の教師生活や私自身の子育ての日々に欠くことのできない金の言葉となった。
今でも幼いアプコと歩くとき、二人で一緒にたくさんの歌を歌う。 園で習ったうろ覚えの歌をアプコは楽しそうに私に教えてくれる。 お日様のもとで人目も気にせず声を出して歌を歌うことができるのは、 幼い子供と手をつないで歩く今だけのこと。 調子はずれはご愛嬌。 歌詞のわからないところは適当に作詞して歌ってしまう。 歌にあわせて自然にスキップになってしまうアプコは、まだまだ歌の魔力の術のうち。 外目には、「歌の好きな陽気なお母さん」 でもその内面には、とどめようのないイライラやグダグダが封印されているかもしれない。 ご注意を。
最近、「日々の子育てが辛い、子供にイライラをぶつけてしまう」というメッセージをいただいた。 「わかる、わかる」とうなづいて差し上げるのは簡単なことだ。 でも「こんな風になさい」と具体的なアドバイスを差し上げるのは難しい。 私自身がまだまだイライラ、ウジウジの真っ最中だから。 「とりあえず歌を歌って御覧なさい」 私がO先生からいただいた金の言葉をあなたにもお伝えする。 だまされたと思って、大きな声で歌って御覧なさい。 あなたが吐きそうになった毒の言葉は、穏やかなメロディーに変わるかもしれない。 育児は長い長い登山のようなもの。 しんどいときもあっていいよ。 鼻歌歌って、切り抜けようよ。 きっと明日はいいことあるから。
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