月の輪通信 日々の想い
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今朝未明、ちょっと陰気な日記を半分以上書き上げて、う〜んと唸って振り返ったら、父さんが背中を丸めて香合の仕上げ仕事をしていた。 以前から何度も何度もリクエストしていて、今年ようやく完成したお雛様の香合。 手の平に乗る小さな菱餅にちょこんと雄雛雌雛。 お姫様の玩具のような愛らしさ。 父さんの仕事は雄大な山河をうつした大作もいいけれど、こういう細かい細工の作品もうまいなぁといつも思う。 ものを作る手は迷いなくさくさくとよく動いて、われを忘れてぼーっと見入る。 陰気な作文を書き綴るより、こっちがいいや。書きあぐねていた日記の下書きをざーっと削除して、父さんの横に座る。
「ああ、眠い。持ってるものを落としそうになる。」 父さんがう〜んと腰を伸ばす。 夜なべ仕事の最中、襲ってくる睡魔に負けそうになると、 「持ってるものをおとしそうになる。」と表現する。 これは、ホントは同じく夜なべ仕事の多い義父の口癖。 面白がって真似しているうちに、その表現はすっかり夫婦の符丁になった。 「寝ちゃえば・・・?いそぐの、それ?」 「うん、今朝の窯詰めに間に合わせるつもりだったんだけど・・・。」 あくびをかみ殺しながら、それでも父さんの手は止まらない。 偉いなぁ。 ホントにこの仕事、好きなんだなぁ。
「ねぇ、陶芸家のほかに何かやりたい職業はなかったの?] 眠気覚ましに聞いてみる。 「う〜ん、ないこともないけど・・・。ほかにできることもなかったしなぁ。車のデザイナーなんていいかなと憧れてたけど・・・」 陶芸の窯元の次男に生まれて、絵を描いたりものを作ったりするたびに、「ああ。陶芸家の子。」と周りから茶々を入れられて育っただろう父さん。 小さい時から父や祖母の仕事場を身近に見て、あまり疑問を持つことなく陶芸家への道をたどった父さんにとって、「陶芸が好き」がそのまま職業になったということは本当に幸せなことなんだろうなぁと時々思う。
「好きなことをそのまま一生の仕事にできる人って、世の中にはそうたくさんはいないよね。自分の仕事になったことがだんだん好きになる人は多いけど・・・。」 「そうかなぁ。そんなもんかなぁ。」 土くれから器用に菱餅を掘り出す父さんの手。 その手の動きのしなやかさには「好き」だけでは支えきれない技術の積み重ねがあることはよく知っている。 悩んだり滞ったり、倦んだり離れたり・・・。 それでも「僕にはこの仕事しかなかったなぁ。」と子供のような素直さで再び土に向かう。 心優しい父さんの奥底に流れる強い強い職人魂に、私は深い安心を覚える。
「あ、お父さん、遊んでる。」 アユコが父さんの作業をちらと見て、笑った。 小さな雌雛の髪を仕上げる父さんの手。 この間、自分でも小さなお雛様をこしらえて焼いてもらったアユコには、父さんの作業が楽しい、わくわくする作業だということがよくわかるのだ。 「遊んでるわけじゃないよ。仕事仕事。」 確かに他人様が「趣味」としている陶芸を職業にしていると、「毎日陶芸三昧で楽しいでしょうね。」と声をかける人もある。 父さんは大概へらへら笑ってお茶を濁すけれど、仕事としての陶芸は趣味の陶芸とはぜんぜん厳しさが違う。 その厳しさを背負ってなお、土と遊ぶ幼児のように楽しげに作品に取り組むことのできる父さんの強さを、私はいつか子供たちに教えたいと思う。
私が書きかけて、削除してしまった日記は、 定年間近で自殺してしまわれた小学校の校長先生に関するものだった。 人が自分の一生の職業に対する想いは深く深く、傍からは想い図ることのできないものがあるに違いない。 「死を賭して訴えること」は美談かもしれないが、本当に訴えたいことは生きて、「作品」として表に出さないかぎり、人には伝わらないのではないかと私は思う。 私は父さんのそばにいて、その作品を一番に味わわせてもらえることがとてもとても幸せだと思う。
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