月の輪通信 日々の想い
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昨日のこと、園バスのお迎えのついでに久しぶりにKスーパーで お買い物。 アプコはスーパーの入り口にある小さな遊具スペースで 「一回だけ、滑り台していい?」 どちらかというと、就園前の小さい子供たちを対象にした簡単な遊具。 滑り台だって、ほんの2,3歩で駆け上がれそうな短いもの。 園の制服を着たアプコには、どうかな?と思うような小さい子向けの遊具に、嬉々として何度もよじ登っていく。
そっか。この子はまだこういうものが楽しくて仕方がない年齢だったんだ。 大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんたちに合わせて、 たまに遊びに行くといっても、遊具のない公園でのピクニックやら、ショッピングセンターでのお買い物。 園ですごす時間が長いので、帰宅後、公園まで出かけていくこともない。 うちの周りの山やおばあちゃんちの庭で、草花を摘む、砂遊びをする、おじいちゃんとコロの散歩に行く。 アプコの遊びの中に、公園での遊具遊びの機会はあまり多くない。 でも、まだ5歳なんだよなぁ。 オニイもオネエもこのぐらいの年齢の時には、兄弟まとめてよく児童公園の滑り台やブランコで遊ばせたものだった。 いまさらながらに、末っ子育児の手抜きに気づいてしばし呆然。
「もう一回だけ、滑ってきていい?」 何度も何度も、私の元にやってきて、遊び時間の延長をねだるアプコ。 いいよ、いいよ。 飽きるまで滑ってきな。 いつもいつもアプコがそばにいると思っていたけど、 それはオトナの買い物や上の子達の生活にあわせて始終アプコをつれて歩いているだけで、 ホントはアプコのための時間をすごしていたわけではなかったんだなぁ。
周りには買い物帰りに小さい子を遊具で遊ばせている若いお母さんたち。 まだあんよがやっとの子供を抱き上げては滑り台を滑らせ、 自動車型の遊具に座らせてはそばからあやしたり、ほめたり。 どのお母さんもレジ袋を傍らにおいて、夕食の準備が気になる夕刻。 お母さんは忙しいんだよ。 早く帰ろうよ。 わかるわかる、その気持ち。
公園遊び現役時代には、いつも味わっていたあの感じ。 子供らが危ないことをしないか、よその子に迷惑をかけるような悪さをしないか。 しょっちゅう、目で追い、声をかけ、子供らの遊びを見守る。 傍目には公園でのんびり子供と遊ぶお母さんだけど、 「早く帰って洗濯物取り入れなくっちゃ」とか、「こんなところで、ぼーっとしてる私の人生って何?]とか、結構心の中ではいろんな葛藤があったりしたものだった。 「そろそろ帰ろうよ。」 子供たちの遊びを断ち切る決まり文句。 なかなか遊びをやめない子供らにイライラも募る。 子供たちに自分の時間のすべてを吸い取られて行くような、 軽い焦りがいつもいつも漂っていた。
あれはなんだったんだろうなぁ。 今にして思えば、幼い子供と過ごすのはほんのわずかな数年間のこと。 もっとゆっくり子供との時間を味わいつくしていてもよかったのに。 ジャングルジムの新しい一段に足をかける時の子供の緊張した顔。 滑り台の頂上で得意げに周りを見回すこどもの笑顔。 タカタカと歩み寄ってくるたどたどしい足取りの愛らしさ。 2度とは見られない子供たちの日常をもっとじっくり味わう余裕が、 あの日の私にもう少しあればよかったのに・・・。
「子育て支援」といういやな言葉がある。 たいがいは、働きたいお母さんのための保育の充実とか、育児ストレスの絶えない密室育児のお母さんへの一時保育サービスとか。 忙しいお母さんたちから、ちょっとだけ子供を預かって羽を伸ばさせてやろうという試み。 確かにそれも、くたびれたお母さんたちのリフレッシュのためには有効なんだけれどね。 子供たちと一緒にすごす一見無意味にも見える長い時間を、「今はゆっくり味わっていていいんだよ、ちっとも無駄じゃないんだよ。」と思わせてあげられるような手助けの方法って、ないんだろうか。 母親が四六時中幼児とともに過ごすというごく当たり前のことが、お母さんにとって負担に感じたり、後ろめたく感じたりする現代って、確かに子育てに厳しい時代なのかなぁと思ったりする。
上の子たちが大きくなって、我が家最後の幼児も5歳になった。 子供の時間のすべてを母の時間として共有することができるのも後わずか。 「オカアサン、見てて、見てて。」 アプコが手を引き、うれしそうに滑り台を滑って見せる。 後もう少し。 腰をすえてしっかり味わわせてもらうよ。 アプコの小さい靴。 泥んこのお尻。 得意げな笑顔。 アプコにとっては今が一回きりの今なんだね。
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