月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
「今日は何の日か知ってる?」 アプコに聞いたら、得意そうに答えてくれた。 「れんこくきねんび!」 はぁ、幼稚園の先生がそう、おしえてくれたのね。 私が噴出しそうになっていると、 「???けっこんきねんび?」 惜しい、もう一息。 おじいちゃんが玄関に誇らしく日の丸を掲げていた。 空が青くて、日の丸の赤がとてもきれいに見える。
車で走っていたら、久しぶりに自転車で坂道を登っていく母子を見た。 自転車の前と後ろに就園前らしい二人の小さな子供たち。 おまけにお母さんの背中にはもっと小さい赤ちゃんがおんぶされている。 後ろに乗っているおにいちゃんが抱えているのはスーパーの買い物袋。 だらだらとゆるい坂を、それでもさすがに自転車を漕いで登ることはできなくて、 うんこらうんこら押して歩く。 冷たい風も吹いているというのに、お母さんはふうふう、赤い顔をして坂を登っていく。 がんばっているなぁ。 たくましいなぁ。 そして、 なつかしいなぁ。
上の3人の子らが幼いころ、私は今ほどしょっちゅう車に乗っていなくて、 よく自転車やベビーカーで、子供らをつれて外出した。 あのお母さんのように、3人の子をひとくくりにして自転車で爆走していた事もある。 生駒の山のふもとにあるわが町はどこへ行くにも「下って上る」の坂道続き。 子供らの体重と買い物でずっしり重くなった自転車で坂道をほいほい漕いで登ることはできなくて、荷車を押す牛のようにのろのろ押して歩いていた。 それでも、途中でくたびれて座り込んだり、水溜りを選んで歩いたりする幼児たちをさっさと運ぶためには、一まとめに自転車にくくりつけておくのが最善の方法だったのだ。 「大変やなぁ。頑張りや。今は大変やけど、この子らが大きくなってら楽さしてもらえるでぇ。」 近所のおばちゃんたちがふうふう坂を登っていく私の後ろから、面白がって声をかける。 「ホンマに楽さしてもらえる日が来るんかしらんねぇ。」 息を切らして、振り返りへらへらと笑う。 前の補助座席でうとうとし始めたアユコの頭がハンドルを握る私の腕にしなだれかかる。 「お兄ちゃん、アユコが寝ちゃったよ。」 後ろのオニイまで寝られてはかなわぬと、話し掛けたり歌を歌ったりして、ようやくうちにたどり着く。 重い荷物で不安定な自転車から子供たちを抱き下ろすのがまた大変で、玄関口に入るとどっとくたびれてへたり込んでしまったものだった。
坂道をのろのろとあがっていく自転車の親子。 後ろに乗っているおにいちゃんの小さい足がお母さんの歩みに合わせてパタパタと拍子をとっている。 前の乗ってる子の口元には小さなかわいい鼻ちょうちん。 そして背中の赤ちゃんの毛糸の帽子がパクパクゆれて、踊っている。 今、必死で自転車を押しているお母さん自身には、 その愛らしさは見えないのだけれど・・・。
「今は大変やけど、先で、きっと楽さしてもらえるで。」 四六時中小さい子供たちをつれている私に近所の年配の婦人たちは今でもしょっちゅうそんなことを言う。 「ほんまかなぁ。」 とやんわり切り返しながら、今の私は後ろでぺろっと舌を出す。 確かにしんどいことは多いけど、ほんとに楽しくて充実していたのはあのころの私。 くたびれ果てて帰ってきて、子供らと飲むいっぱいのミルクのおいしさ。 オムツや泥んこの洗濯物を洗い上げて、お日様にさらす時の爽快感。 いつもいつも自分の体の一部分のように幼い子らがそばにいる幸せ。 5人の子らを生み育て、10年も「乳飲み子を抱えた母」をつとめたおかげで、 私はそのしんどさだけではなくて、濃密な母子の時間の甘い充実感を見出すことができたように思う。
「小さい子の声が家の中にあふれていたあのころに戻りたいわ。」 そんな風に、子供たちと過ごす私をうらやましそうにおっしゃる方もある。 とんでもない。 あんなどろどろの体力の要る生活には、もう二度と戻りたくない。 日々成長して、幼いころの愛らしさが、大人への入り口に立つたくましさに変わりつつある子供たち。 幼児のたどたどしい愛らしさも懐かしくはあるけれど、私には迷いつつ階段を上っていく明日の子供たちの姿の方が関心事。 今が一番。 明日はもっといい。 常にそんな希望を抱かせてくれる、子育てというのはほんとに尽きない泉のようなものなのだ。
今、現役で、「四六時中、あかちゃんといっしょ」の生活を強いられているお母さん。 「今は大変だけど、先できっといいことあるよ。」 「小さい子がいつもそばにいる今が一番楽しいのよ」 先輩ママたちが、飽きるほど口にした言葉をあなたに贈る。 「ほんまかいな」 「とんでもない、ほっといてよ。」と切り返して、 頑張っている今のあなたを自分でほめてあげよう。 子供たちの成長がきっとあなたの頑張りに答えてくれる。
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