月の輪通信 日々の想い
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2004年02月09日(月) 長幼の序

近頃、きまじめなオニイがプリプリ怒っている。
相手は当然4つ違いの弟、ゲンである。
「コイツ、兄としての僕の事を嘗めている。ちっとも敬意を払わない。」
理屈屋のオニイは、生意気なゲンの言動がいちいち気にくわない。
口調を改めて、ゲンをひっつかまえ、説教を垂れる。
「はいはい、わかった、わかった。」とへらへら、聞き流すゲン。
その軽薄さが気に入らなくて、オニイの説教はさらに続く。

オニイが苦手な白ネギを食べ残したまま、夕食の席を立とうとする。
「オニイ、残ってるよ。」
すかさず私が呼び止める。
「あ、お兄ちゃん、嫌いな物だけ残そうと思ってるやろ!」
と、ゲンが尻馬に乗り、殊更美味しそうに自分のお皿の白ネギを食べてみせる。
オニイが説教モードに入るのはこんな時。

オニイの友達や剣道仲間のいるところで、
オニイの失敗談を面白おかしく暴露したり、普段よりしつこくオニイにちょっかいをかける。
「非暴力、不服従」を実践する心優しいオニイの堪忍袋の緒が切れるのはこんな時。

次々に赤ちゃんが生まれて、上の子達にも十分に目を向けてやるために、
3人同時赤ちゃんと思って、「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」という言葉をなるべく使わないように育ててきた子ども達。
そのせいか3番目のゲンは、オニイ、オネエに同年令の友達のようにじゃれついていく。
そうでなくても、人なつっこい彼は身の回りの大人や先生達にも遠慮なくツッコミを入れたり、間違いを指摘したりする事も目立つ。
それはそれで、彼なりの親愛の示し方でかわいいところでもあるのだけれど、時にはむかっときて睨みつけてやりたい時もある。
道場で、偉い先生方の教えを受けたり、中学校で怖い先輩や厳しい先生に出会ったりして、「目上の人との接し方」について、多くを学びつつあるオニイにとって、「兄の権威」を屁とも思わぬ弟の存在が、うっとおしく感じるのも無理はない。

「もう、しょうがないなぁ、またお兄ちゃん、忘れ物していっちゃったよ。」
「オニイ、机の上をきれいに片づけなさいよ、アユコやゲンの机の方がきれいだよ。」
不用意に私がこぼすその言葉。
プライド高いオニイには一番有効な言い方だけど、そばで聞いている弟妹たちにはオニイの受けるお小言は、そのまま兄の権威をひきずり落とす格好のネタになる。
「ゲン、お前なぁ、ぼくのこと、兄と思ってないやろう!」
ゲンに説教を垂れるオニイの口調にも、心なしか情けないものが混じる。
いかんなぁ。
母は、オニイへの小言は弟妹達の居ないところでオニイ一人にこぼすことに決めた。

「長幼の序」
この古くさい言葉を幼い子ども達にどんな風に教えたらいいものか。
高学年の教室でさえ、多くの子どもが友達に話すような言葉で先生に話しかける。
幼い子が「何やってるん、あほやなぁ。」と年長の子の失敗を笑う。
「みんな仲良し、みんな平等」が基本の学校生活の中で、「年長者を敬う」という古めかしい習慣を教えるのは難しいのかもしれない。
近頃では、家庭でも友達言葉で会話する親子が多くなって、「母と一緒になって父親をコケにする娘」とか、「息子を味方に付けて妻をこき下ろす父」の話もよく聞く。
「先生だから」「親だから」「年長者だから」
それだけの事で敬意を表する事の理屈を、今の子ども達に改めて教え込むということは、意外と難しい問題なのかもしれない。

「オニイは、偉いなぁ。寒いのに、今日もさぼらずに夜の剣道、行くんだって・・・」
弟妹達にオニイへの小言を聞かせる変わりに、頑張るオニイの偉大さを殊更に強調する。
「年上だから」「長男だから」というのではなく、
「頑張ってるから」「優しいから」「いろんな事を知っているから」オニイは偉いのだと、母は訴える。
「オニイって、そんな偉いところがあったんだ。」
と見上げる弟妹の視線は、きっとのんびり長男のオニイの背中をぐいと押してくれるだろう。
「長幼の序」と言う題目を現代の子ども達の心にしっかり刻みつけるのは難しい。
とりあえず、「頑張ってる人は偉い」から始めよう。
そして、私自身が、親を、夫を、先生を「偉い」と大事に敬うことから・・・・。
子ども達はその後ろ姿から、きっと学んでくれると思うから。



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