月の輪通信 日々の想い
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2004年02月02日(月) 閉じた道

我が家の前の道は、ハイキング道に続く細い道。
下っていくと小学校や駅につながる一本道だが、登っていくとほんの数十メートルで山に入る。
車両が入るのはうちの前まで。宅配便の車も隣の空き地で車を回して帰っていく。
朝のウォーキングの人たちも、同じあたりでUターン。
うちの家族も玄関を出ると、歩き始めるのはもっぱら、下り方向。
たまにドングリ拾いに行くときか、お弁当持ってハイキングの時くらいしか登りの道を選ぶことはない。

ご近所の水道工事が続いている。
細い道で迂回路もないので、奥の方の家は工事中、わざわざ朝のうちに車を工事区間より下へ移動させて置かないと、一日車が使えなくなる。
一本きりの大事な生活道路。
だから、どの家も工事や事故による通行止めには過剰に反応する。
通勤に、通学に、そして生活用品の買い物に、毎日必ず何度も行き来する山道は、文字通り生活を支える命綱。
春には新緑に覆われ、秋には落ち葉の厚い絨毯を敷き詰めるこの道を、もう何百往復したことだろう。

一方が行き止まりになる道を身近に利用するようになったのは、工房のそばのこの家に住むようになってから。
それまで道というものは、どちら側にも永遠に続き、どこかの道につながり、ぐるっとまわって帰ってくるものだと漠然と思っていた。
だから、この家に住んで数年になるのに一方向だけに開かれた「閉じた道」の存在がどことなく心に沿わない感じがある。

ここ数年、よくこの道の夢を見る。
いつも使わない登り方向の道をどんどん行くと、今まで知らなかった町へとつながり、美味しそうな総菜屋さんとか小さな駄菓子屋さんとか心惹かれる町並みを見つけて、感激する。
そんなたわいもない夢。
何度も繰り返して同じ町にたどり着くこともあって、「あれはいったい何処の町並みだったのだろう」と目覚めてからもおぼつかない夢の町のモデルを探して、ぼんやり昔歩いた道の記憶をたどってみたりする。
夢の中の「道の向こう」はセピアがかった思い出の町。
閉じた道の行く先には、私の心が築いた「架空の思い出」の町がある。

地元の故事に詳しい義父によると、我が家の建っているすぐそばから、奈良へと続く古代の道があるという。
神々がたくさんのしもべを連れて、奈良へと渡った伝説の道。
義父が指さすあたりには、けもの道とも言えない藪があるばかり。
幼い日、義父がたどったことがあるという古代の道は、勢いよく伸びる灌木やつる草に覆われて、やんちゃな子ども達ですら入っていかない。
「もう一度、あの道を探して歩きたい」という義父に、「まむしがでるよ。」「藪が深くて、あぶないよ。」と釘を差す。
元気とはいうものの、愛犬との短い散歩の途中にも何度もううんと腰を伸ばす義父に、あの険しい山道は手に負えない事だろう。
義父にとっての古代の道は、私の夢の中の町のように、行き着くことはないのに親しく懐かしい思い出の道なのかもしれない。

そういえば、我が家の最寄り駅、京阪電車交野線の私市駅は終着駅。
枚方駅との15分足らずの道のりを一日の何度も往復する4両編成の電車。
この交野線もその昔、生駒の山を越えて奈良の町につなげる予定で作られた線なのだそうだ。
結局計画は中途で見直され、奈良への交通はわずかに日に数本のバスによって、かろうじてつながれている。
私市駅の構内の車止めのついた線路には、我が家のまえの「閉じた道」に近いものがある。
いつかたどり着いたかもしれない幻の町。
どこか懐かしく、どこか愛おしい架空の町並み。
閉じた道の向こうにあるのは、決して行き着くことのない架空の町だが、
いつかは行ってみたい夢の町なのかもしれない。


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