月の輪通信 日々の想い
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散らかった居間の片づけをしていてあれ、と思った。 私の内職仕事の陶玉を入れて置いた紙箱のフタがない。 へらへらの白いボール紙の菓子箱で、決して高級な箱ではないが、仕切り板がついていて具合が良かったので、仕上げまでの仮の入れ物として使っていた物。 身の方は中身が入ったまま机の上に置いてあるが、あたりにフタが見あたらない。 きょろきょろと見回すと、少し前までフタで会ったであろう残骸が見つかった。 まっぷたつに切り捨てられ、コンパスで描いた直径2㎝ほどの円をいくつも切りとった跡がある。 やられた。 犯人はゲンである。
「幼い頃、母は絵を描くのが好きな私の為に、裏が白い広告の紙をたくさん集めていつもきれいに綴じて置いてくれた。その紙に飽きることなく描き続けて私は画家になった。」 ある画家の先生がそんな話をしておられるのを聞いたことがある。 描きたいと思うときにたくさんの白い紙があると言うことの他に、「いつでもたくさんお描きなさい」と暖かく見守るお母様の姿勢が、その方を偉大な画家に育てたのに違いない。 それにあやかりたいと言うわけではないが、我が家では幼い子ども達を育てるときに、折り紙と画用紙とクレヨンだけは切れることがないようにふんだんに用意して、子ども達の手の届くところに置くようにつとめてきた。 別に上等の物ではない。一番安い大判の落書き帳と500枚入りの徳用折り紙。 無駄に描き散らしても「もったいない」と言わない。 少々散らかしても汚しても叱らない。 けちんぼのズボラ母にとっては、時にはううっと唸りそうになることもあったが、 子供らはお構いなしに描きなぐり、切り刻み、膨大な紙屑の山をこしらえて、大きくなった。
現在でもまだ、徳用折り紙は常備品である。 それから手頃な段ボールや紙箱のボール紙、割り箸、ストロー、プリンカップはいまだに「これ、捨てるけど、欲しい人居る?」と聞いてから捨てる。 ラップの芯は大概捨てない。 さすがにオニイは卒業していったようだが、アユコとゲンはまだまだ「おうちで工作」の現役生。アプコも折り紙お絵かき、真っ盛りだ。 コタツの上にはいつもハサミやノリ、ボンド、カッター、色鉛筆。 常時誰かが作業中で、細かい紙切れや描き損じの画用紙が散らかる、散らかる。 「この家はハムスターの巣か!」切り刻んだ紙切れを寄せ集めて吠える。 いやいや、きれい好きだというハムスターに失礼ではないか、この惨状は・・・。
いまアユコが凝っているのは、半年ほど前からアプコの為にと作り始めたドールハウス。お菓子の化粧箱のなかにしきりを入れて部屋を作り、家具や調度を紙や廃品などでこしらえて家を造る。 手先の器用なアユコらしく、トイレやポストまでちまちまとこしらえて、少しづつアイテムを増やして、増築していく。 休みの日の退屈な午後など、お人形で遊ぶアプコの相手をしながらアユコがちょこちょこと新しい家具を作る。 「赤い家」と名付けられたコンパクトなドールハウスは、二人の女の子のささやかな夢のおうち。
ゲンが熱中しているのは、図書館で借りてきた本の載っていた競馬ゲーム。 ボール紙に型紙で描いたパーツを切り抜き、なにやらコテコテこしらえている。 私の箱のフタから切り取ったのは、そのうちの歯車を作る部分らしい。 すぐ手近にあった手頃なボール紙を、「あ、ちょうどいい紙みっけ!」とちょきちょきやったのだろう。 こういうとき、前後の都合を考えずにさっさと手が動いてしまうのは、子どもの常。 そして芸術家の常らしい。
そういえば、美しい柿の色を表現したいと、窯の火加減に熱中し、我が家の建具や床材をバンバン窯に投げ込んだという柿右衛門の故事を小学校の道徳の時間に習ったことがある。 家族にとっては、迷惑きわまりない芸術家の情熱。 それを「偉大な芸術家の魂」と小学生に学ばせるのは無理があると、長いこと思っていたが、何かに夢中になるとまわりが見えなくなる子ども達にとっては、かえって親愛を覚える教材だったのかもしれない。 ともあれ、未来の偉大な陶芸家を育てているかもしれない母としては、「お母さんの箱だったんだけど・・・」と小さくつぶやいて諦めるより仕方ないのである。
ところで、我が家の子ども達の工作好きは絶対に父さんからの遺伝である。 幼い父さんがボール紙を何枚も張り合わせて作ったという模型のような自動車やロケットを私は何度か見せてもらったことがある。 多分、お義母さんは、工作好きの息子のためにきれいなボール紙や包み紙を惜しげもなく用意して置いたのだろう。 今でも我が家の子ども達が「おば~ちゃん」と訪ねていくと、お菓子の箱やストローをにこにこと出してくれて、子ども達の第二の工作原料調達場所になっている。 次代を継ぐ孫達の旺盛な紙切り虫ぶりを、きっと面白がって見て下さっているのだろう。 父さんという成功例が身近にある以上、母はせっせと折り紙画用紙を買い求め、手近な紙箱のフタはいつでも供出出来る覚悟を決めてかかるしかないようである。
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