月の輪通信 日々の想い
目次|過去|未来
寒い朝。 アプコと二人、転がるように園バスへの道を駆け下りる。 「オカアサン、なんで走るの?」 「ごめん、ごめん。寒いからついつい早足になっちゃって・・・」 と、速度を落とすが、しばらくすると今度はアプコが駆け足。 「アプコ、なんで、はしるの?」 「だって、寒いんだモン!」
日溜まりで立ち止まって膝をつき、ずり落ちたアプコのハイソックスを引っ張り上げ、上着の前ファスナーをぐっと上げてやり、手袋の手を両手で包んで温める。 「寒いね、アプコ。もうちょっと頑張ろうね。」 と赤いほっぺのアプコの顔を見上げたとき、あっと、思った。 今の私、おかあさんに似てる。
鮮やかによみがえった子どもの頃の記憶。 デジャヴって言うのともちょっと違う。 私の頭に浮かんだのは幼い頃の私の想い出ではなくて、今の私があの日の母とおんなじ目線、おんなじ手つき、おんなじ表情をしてるんだなって言うこと。
私がアプコと同じ年の頃、母は、五つ違いの弟を出産。 長い一人っ子生活からいきなりお姉さんになった私に、赤ちゃんを抱く母は少し遠く見えた。 うちには同居のおばあちゃんもいて、寂しい想いをしたという記憶もないのだけれど、幼い日の思い出の中の私はいつも「お姉ちゃんになった私」 一人っ子時代の甘えんぼしている私の記憶は何故だかほとんど残っていないのだ。 家族のなかでは、名前を呼ばれるより「お姉ちゃん」と呼ばれることが多かった子供時代。 それでもあの頃、こんな冷たい北風の中、立ち止まった母が私の手を両手で包み、こんなふうに温めてくれた事がきっとあったのだなと突然、思い至り、うれしくなる。
おみそ汁を碗につぐとき、洗濯物をパタパタ取り込むとき、 「あ、今の私、おかあさんに似てる。」 たびたび感じるようになった。 どちらかというと、性格も外見も私は父親似。 体型だって母は今の私よりずっとスリムで、毎日ちゃんとお化粧してた。 編み物やお料理が上手でにこやかで、密かに「自慢の母」だった。 「アタシはおかあさんには似ていない」とずーっと思ってきたけれど、 気がついてみれば、母とおんなじ専業主婦。 子ども達を叱る時に使う言葉。 傷ついた子どものなぐさめ方。 挫折を乗り越えるときの気持ちの切り替え方。 「ああ、今の私はおかあさんに似ている。」 そう思うたび湧いてくる暖かな勇気。 良き母に育てて頂いた。 感謝の想いを愛する4人の子ども達に等しく分ける。
「もしもし、別に用事はないんだけどね。」 母の声が聞きたくて、時折実家に電話する。 子ども達の近況を報告し、庭の花の様子を聞き、時には「晩ご飯何にするの?」と夕餉の献立の相談をする。 たわいもない会話で終わる電話。 それで、いい。 あの家にいつも変わらぬ母が居る。 それだけのことで、元気になる。
アプコを叱るアユコの声。 洗濯物を畳んでくれるアユコの手。 この子もいつか母になり、 「あ、今の私、母さんに似てる」 とふっと気付く日が来るのだろうか。 そのとき思い浮かぶ私の姿が、 あの日の母のように優しく暖かい母でありますように・・・。 遠い未来の子ども達を思いながら、 今日は暖かいミルクを沸かした。
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