月の輪通信 日々の想い
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2003年12月25日(木) お手伝い券

先日の「台所育児」に続いて、「お手伝い」の話。



育児に関して、私の嫌いな言葉に「お手伝い券」と言う言葉がある。

母の日とか、主婦の誕生日とか、そんなときにお金を使わずに手っ取り早くプレゼントを済ま
せちゃおうって時に、子ども達がよく利用する手作りのカード。

私はアレが大嫌い。



アユコが低学年の時、母の日に担任の先生がクラス全員にこの「お手伝い券」を作らせたこと
がある。

「お母さん、ありがとう」と言う言葉とともに、母親の似顔絵を描かせ、数枚のお手伝い券をつけ
させる。

そしてご丁寧にも、その券を使ってお手伝いをして、母親からその感想を書いてもらって来ると
いう宿題をだされたのだった。



「なんで、母の日にお母さんが宿題をだされなくっちゃならないの?」

カチンときた私は、わざと宿題をださなかった。

きまじめなアユコは母親がちゃんと宿題を提出してくれないので、きっと困ったはずである。

他にも提出しなかった保護者があったようで、担任の未提出の子達を「宿題忘れ」として、名前
を公表した。



・・・我が家では、子ども達が家事を分担することをお手伝いとは言いません。

宿題だからと義務感でやってくれたお手伝いに「嬉しかったわ」なんて感想は書けません。

母の日に感謝の気持ちからしてくれたお手伝いに、「感想を書け」と強制するのは筋違いで
す。・・・



その時、珍しく私は担任の先生に噛みついた。

普段は協力的で模範的な(?)保護者からの抗議に慌てた先生が、「宿題忘れ」の件は撤回し
てくれたけれど、私の真意は果たして伝わったのだかどうだか。

後日、まじめに提出された他の保護者の方々の「感想」は学級通信にして、皆に配られた。

「○○ちゃんが初めて作ってくれたカレーはとってもおいしかったです。」

「××ちゃんがお洗濯をたたんでくれて、助かりました。」

ま、これはこれで母の日のイベントとして、結構な事だけれど、やだな、気持ち悪い。



家の中の用事は便宜上、主婦が何でもやってしまうけれど、本来は誰がやってもいい仕事。

お洗濯だって、お料理だって、主婦が出来ない時には他の誰かがやれること。

家族の為にお風呂を洗う、お布団を敷く、お洗濯物を片づける。

子ども達は自分の受け持つ仕事を当たり前にすませて、報酬やお礼の言葉を期待しない。

それでも、急に降り始めた雨に急いで洗濯ものを取り込んでくれたとき、帰宅が遅くなった母に
替わってとりあえずご飯だけは炊いておいてくれたとき、

「わぁ、助かった。子どもをいっぱい産んでおいてよかったよ。」

母は、心から褒めちぎる。

「おかあさんが喜んでくれるから・・・」

そんな純粋な気持ちからやってくれるお手伝いには、素直な気持ちで「ありがとう」がでる。

そして、「役にたった」という実感が子ども達の自信や成長につながる。

そんな場面で「とりあえず褒めて」とか、「おだてて、やる気にさせて」と姑息な嘘が混じるのは、
やりきれない。

子ども達には母の心の微妙なズレをきっと感じとってしまうだろう。



パラパラと通り雨。

「わ、大変。洗濯物、とりこまなくちゃ。早く言ってくれればいいのに!」

あわてて、ベランダに上がると

「ごめ〜ん」とゲンが手伝いに来る。

ゲンが「ごめん」というのは、洗濯物を取り入れるのも自分たちの仕事の範囲内だと自覚して
いるからだ。

よしよし、母の思惑通りに育っておるな。

この子等のおかげで、ずぼらな私にも「4児の母」がなんとかつとめられている。

私には母の日限定の「お手伝い券」なんか要らないのだ。


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