月の輪通信 日々の想い
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いつも愛読している日記書きさんの日記に、うんうんとうなずく。
「携帯持たず者の苦悩」
私は携帯電話を持たない。
近頃では携帯電話を持っているのが当たり前で、頑固に「持たない派」を押し通すのが肩身が 狭い事になってきた。
一日の大部分を自宅で過ごす専業主婦にとってさえ、携帯電話はもはや当たり前のアイテム で、幼稚園からの緊急連絡も子供会役員の簡単な連絡事項も、携帯電話が大活躍。
「あ、持ってないの、携帯・・・」
なんだか居心地悪いなぁ。
特別、なくて困るというわけではない。
メールは急ぎの用でなかったら、PCで済ませるし、出先から連絡することがあれば公衆電話 を使う。それだって、通話料は月に数百円どまり。
どうしても公衆電話を見つけにくい場所や、複雑な時間あわせのいる待ち合わせの時には、義 母の旧式の携帯電話を借りる。
それで十分。事は足りる。
第一、緑豊かな雑木林の中にある我が家。
携帯電話の電波状態はむちゃくちゃ悪く、外から父さんの携帯に電話しても、家の中からどこ かへ携帯で電話しても、「圏外」と冷たく拒否される事が多い。
「・・・ンなら、いらねぇよ。」
私は頑固に首を振る。
打ち合わせの最中でも、かしましい井戸端会議の途中でも、しょっちゅうどこかで鳴り始める呼 び出し音。
「ちょっとごめんね。」
込み入った話の途中でも、あわてて、携帯の画面に飛びついていく。
メールだな。
おしゃべりの途中でお預けを喰った私は手もちぶさたに宙を見る。
いやだな・・・とちらと思う。
むこうからのメールを読むだけでなく、ささっと返事のメールも送信している様子。
その間、わずかに1,2分。
だから別にいいんだけどね、興に乗っていたおしゃべりに水を差されて、微妙に冷めてる私が いる。
例えば、誰かと熱心におしゃべりしている友人の肩を後ろからポンと叩いて、
「ねえねえ、何してるの?暇だったら一緒に買い物、行かない?」
って、声をかけるのはちょっとためらうよなぁ。
「あ、ちょっと待ってね。」
と、おしゃべりしてる相手を待たせて、
「行く、行く!この話終わったらそっちへ行くよ。」
と返事してるのも、やな感じだよな。
本人同志が居合わせている状況なら、そんな失礼な事は絶対にしない友達でも、事、メールと なると、当たり前のように携帯の呼び出し音が優先されるのは何故なんだろう。
もはや、常識になりつつある「メール最優先」のおかしな習慣。
そのたびに、うっとなる私はもはや時代に取り残された、頑固者に過ぎないのだろうか。
「携帯電話」と名乗るだけあって、常に携帯して、いつでも受信可能であることを期待されてい る、ある意味、拘束アイテム。
あまりに急速に普及してしまったものだから、「便利」「楽しい」「なんか安心」が先走って、それ にともなうマナーや、ルールが間に合っていない気がする。
人と人のコミニュケーションの微妙な間合いや無意識のタイミングを無視して、発信者の都合 で鳴り響く呼び出し音。
ひとたび「マイ携帯」を手にしたら、きっとすぐにも忘れてしまうだろう今の私の微妙な違和感。
そこなんだよなぁ、いまいち携帯ゲットに踏み込めないのは・・・。
こんな私ってやっぱり頑固な少数派なんでしょうか。
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