てらさき雄介の日記
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2016年04月09日(土) |
民主党と私〜その5〜 |
前日、その4から続く。
当然に当選するつもりだった。また勝ったと思った。開票するまでは。結果15,576票で落選。次点とは言えその差は1,000票以上。完敗である。もう一人の民主党候補も落選したことで、相模原の民主党の県議会議員はゼロになった。客観的にはあり得ないことだが、私自身がその当時者になった。
浪人生活の詳細は述べない。あくまで私事だ。墓場まで持っていくつもり。一方多くの方に支えて頂いたことは忘れない。また運も良かった。県議選から数か月の後、民主党と自由党が合併することに。藤井裕久先生が民主党になったのだ。これを境に相模原市民の民主党に対する評価は変わった
しかし政治は一寸先は闇。郵政選挙で藤井先生は落選。引退を表明。相模原の民主党はまさに風前の灯だった。周りから受ける批判と心配も段々強くなった。不思議なものでメゲてはいない。窮地にある方が向いているのか。元々野党的な体質なのか。批判を受けるほど次期県議選に向けた、民主党公認候補としての決意は固くなっていった。
迎えた再びの県議選。今振り返っても背筋が寒くなる選挙だった。勝負する相手は同志、友人である長友克洋氏、そして本村賢太郎氏。今に至る6回の選挙で、これ程強い相手と巡り合ったことはない。この選挙を戦えた経験が、その後今に生きていると思う。
そして当選した。実力とは思わない。この選挙は民主党の風が吹いた。県内の候補者が軒並み当選。民主党かながわクラブ県議団も35名でスタート。その流れは国政にも及び、自民党政権が崩れていった。小泉政権後は市民の支持を得られず、世では「政権交代」が言われるようになった。
私はいまだ半信半疑だった。そんなに簡単に自民党が負けるだろうか。戦後ずっと難しかった、選挙による政権交代が実現するのだろうか。そして衆議院選挙を迎えた。我が地元の候補は本村賢太郎氏。直近の県議選で戦ったライバルである。私は割りきったが、支援者がついてくるか心配だった。
翌日、その6へ続く。
●今日一日
【午前】 富士工業グループユニオンボウリング大会/相模原
【午後】 行政相談対応(福祉)/上溝 上溝自治区自治会連合会総会/同
【夜】 上溝地区自治会連合会新旧役員歓送迎会/上溝 会合(地域)/相模原
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