てらさき雄介の日記
DiaryINDEXpastwill


2013年08月17日(土) 抑留された79名の日本人墓地

大日本帝国の戦闘は最西端がインドである。しかしもっと遠くにも、その傷跡は残されている。旧ソ連による抑留者だ。満州で捕虜となりシベリア鉄道に乗せられ、ウスベキスタンに連れてこられたのは、実に2万5千にも上る旧日本兵たち。

多くの人が現地で亡くなった。タシケントには79名のお墓がある。現地のムスリム墓地の一角、慰霊碑と墓石が静かに並んでいる。ウスベキスタン政府の配慮もあって、とても綺麗な状態が保たれている。お線香を手向けた。人影は他にない。しかし先客が来た形跡はある。お参りする日本人はいるのだ。

市内には抑留者たちが建てた劇場がある。残念ながら補修中で、中には入れなかった。「「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本人がこのナヴォイ劇場の建設に参加し、その完成に貢献した」と記載したプレートがあるとのこと。

タシケントは1966年に大地震に見舞われる。約78000戸の建物が倒壊したが、この劇場はビクともせず、当時の人たちの語り草になったそう。

かの戦争が残した傷跡は深く大きい。ジェット機に乗って9時間以上もかかるところに運ばれ、祖国への帰還を果たせずに亡くなった人がいる。その無念を感じずにはいられない。改めてご冥福をお祈りする。

●今日一日

終日 タシケント滞在

日本人抑留者のお墓まいり

日本人抑留者が建てた劇場


てらさき雄介 |MAILHomePage