てらさき雄介の日記
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ついに明日衆議院選挙が公示になる。それ以降は公職選挙法上、候補者の名前を含めて書けないことも多い。ルール上妙な点もあるが、制定している側の人間として、それを順守しながら思いを伝えていきたい。
さて靖国の話をしよう。最近そんな話題が多いが、8月ゆえ思いを馳せていることにご理解願いたい。かの戦争について見解をもたない人は、たとえ議員であっても政治家とは認めない。
この前開催された衆議院選挙の公開討論会で、主催者からの○×式の質問をするコーナーがあった。多くの質問を端的にするなかで、候補予定者の人柄を知ってもらうことを目的としている。
そのなかに「靖国神社に参拝したことがありますか?」という質問があった。それぞれ正直に答えていた。さてこの質問は○×で答えるには、いささか誤解を招きやすい要素がある。
ちなみに私も参拝したことがある。今も行きたいという気持ちもある。しかしかつての戦争に対するケジメの思いもある。またそこに英霊がいるかは、まさにそれぞれの信条の内面に触れるところ。
ここではひとつの事例を挙げたい。靖国神社は明治維新前後から、‘国のため’亡くなった人を祀るための神社。坂本竜馬も高杉晋作も合祀されている。しかし誰が‘国のため’の死んだのかは、あくまで歴代の政府解釈による。
ここである3名の志士の話をしよう。川上邦之助・松林織之助・大村貞助だ。ともに明治維新、すなわち明治元年の王政復古の大号令直後に死罪になっている。罪状は外国人の殺害。外国人の行列に切り込んだのだ。
その理由を司馬遼太郎は、明治政府の開国思想に幻滅したからと書いている。確かに討幕は最後の段階まで、攘夷の思想に依るところが大きかった。一部の指導者を除いては。
しかし維新政府は外国交渉役を設置し、予定されていたように開国の道を突き進んだ。それに対して、攘夷思想を持っていた討幕の志士は憤慨し、結果切り込みをかけるに至った。
それを明治政府は断罪した。その3名は�猗蛤畆圻瓩箸覆辰拭�ゆえに靖国神社には祀られていない。ちなみに上にも書いたが、私が歴史上一番好きな高杉晋作も、その数年前には外国公館を焼き打ちしているが、しっかり靖国に祀られている。
そう祀られるかどうかは、時の政府による政治的判断によるのだ。現在においても、新たな戦没者が祀られるときは、厚生労働省の‘推薦’に依らねばならない。すべての戦死者を祀る施設では、事実としてないのだ・・・。
これを枝葉末節な‘誤差’と言うことは出来ない。靖国神社は、その設立においても運営においても、純粋な意味で戦死者を悼む施設ではない。政治遂行上、必要性から出来ているのだ。
終戦の日には、心から黙とうした。この国の将来を案じる愛国者たる自負もある。民主にも自民にもいるが、チルドレンなる人たちは、今一度過去に思いを馳せて欲しい。
白か黒かではない。自分自身も日々勉強している。一緒に戦争と平和について考えたい。イチ地方議員としての切なる願いである。
●今日一日 【午前】 行政相談(公園)/横浜市中区 事務作業/県庁 【午後】 打合せ(党)/共和 作業(党)/共和
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