てらさき雄介の日記
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2007年08月14日(火) |
今改めて反戦〜その2〜 |
さて今日は「あゝひめゆりの塔」をテレビでやっていた。思えば昨日も含め、時節柄の特集なのだろう。
主演は吉永小百合。後のリメイク版よりも、戦争描写がなまなましい。冒頭に入るアナウンスは、「あれから20年」と言っていたので、当時のまさに記憶に新しい戦争が描写されたいた。
最後の手榴弾による自決シーンは、涙をこえて強い怒りを覚える。「生きて虜囚の辱めを受けず」。仮にこの言葉が許されるとしたら、それは国民に強いる前に、指導者自らが実践したときだろう。
満州でも、樺太でも、そして沖縄でも、軍は在留邦人を見捨てて逃げた。残念なことだが事実として、当時の日本軍は国民の盾にならなかった。
沖縄を捨てた後に「本土決戦」が叫ばれたのは、すなわち沖縄は‘本’土ではなく、外地であるという当時の認識だったのだろう。ならば現地で徴兵しなければいいのだ!
さて今でも沖縄には、軍民含めて多くの遺骨が埋まっている。民間団体がボランティアで収集をされているが、それを放置する政府の姿勢が理解できない。戦死者の霊云々と言う総理の言葉が、この一事を見ても空虚に聞こえる。
いまだ果たされていない戦争責任が、国内に対してもいまだ多く残っている。当時日本人として戦地へ行った軍人には、朝鮮半島や台湾の人も多くいた。その遺族に対する補償も不十分だ。
戦後レジームから脱却したいと言うなら、その前に積み残したきた課題に対処すべきだ。そして戦後を語るならば、その前提となったあの戦争に、もっと真正面から向き合わなくてはならない。
テロ特措法の延長が、これから国会で審議される。インド洋に展開するアメリカ軍は「軍事施設を爆撃している」と言う。アメリカは、かつて日本を空襲したときも、同じ理屈を使っていた。原爆投下でさえそうだ。
個々の戦争に意義を感じ、覚悟を持って戦地へ行く人はまだいい。それを指導する政治家も自己責任だ。しかし戦死者の多くが、子どもや女性など一般市民であることを忘れてはならない。
どんな戦争でもそうだ。
【今日一日】 休暇
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