てらさき雄介の日記
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2006年04月13日(木) 愛国心表記

ついに教育基本法の改正が行なわれる。公明党の“柔軟な”姿勢によって、与党合意が成立した。大きなお世話だろうが、獄死した創価学会初代会長は何と思うだろうか。

私は愛国者を自負している。しかし政府や法律でいう愛国心と、私の愛国心はニュアンスが違う気がする。元々「愛」という言葉自体千差万別だ。また口に出すと軽くなり、一人歩きする言葉でもある。

いつだったか福岡県の小学校で、通信簿に‘愛国度’の欄があったそうだ。点数を付けた先生は、本当にその資格があると考えたのか。また何の基準で評価したのか。不思議だ。

卒業式などで、君が代を唄わない教職員がいる。席を立たないで座っているのだ。当然教師は歌うべきだが、数人程度歌わない人がいても、目くじらをたてることはない。社会を息苦しくしないためには、善悪だけでなく、余裕や隙間も必要なのだ。

そんな教職員の気持ちについて、一端理解できる経験がある。市議時代に46名の議員のうち、会派の同僚と2名のみ起立採決(賛成)したことがある。やましい事は全くなくても、やはりそれなりに緊張するものだ。また皆立っている(賛成)のに、私たちだけ座っている(反対)時も同様だ。

愛国心を人に対して使うときは、まず自らを省みなくてはならない。自分に甘く人に厳しいのが世の常だが、自らこそ愛国心を点検すべきだろう。教育基本法の改正を行なう国会議員も、より謙虚な姿勢で臨んでもらいたい。

最後にもうひとつ。国が必死で国民を守っていけば、国民は自然と国を愛すると思う。法律に明記しなくてはならない状態は、国が自信を失っている証拠だろう。






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