てらさき雄介の日記
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2006年03月24日(金) 藤井裕久先生と 番外編

矢部南口で朝駅頭。風が冷たい。

昨年9/14〜9/22の間に「藤井裕久先生と」と題し、この日記で藤井先生との思い出を書いたが、その番外編だ。

読売新聞に“時代の証言”という連載がある。現在執筆しているのは、元内閣官房副長官の石原信男氏だ。旧自治省の出身者である。現在も地方自治に関わっていて、先日の合併記念式典にも来賓として参加していた。

内容は戦後の地方自治の変遷についてだが、非常に興味深く読んでいる。昨日は「地方交付税と赤字国債」についてがテーマだった。

時は1970年代。オイルショックで税収が急減し、特例公債(赤字国債)を初めて発行した時の記載がある。そこに藤井先生の名前があった。


〜以下抜粋〜

 75年度になると、景気は完全に失速します。補正予算を組む秋の段階で、国も地方も当初に見込んだ税が入ってきません。

 国が大量の赤字国債を発行するのはこの時です。地方交付税も予定していた総額が確保できません。

 「どうしようか」と、大蔵省の地方財政担当の主計官だった藤井裕久さんが私の自宅を訪ねて来ました。細川内閣で大蔵大臣になる元・民主党幹事長の藤井さんです。

 2人で相談した末、緊急策として、地方交付税の不足分を国と地方で借金をする案をそれぞれの上司に提案しようということになりました。

 結局、これが実現するのです。

〜以上抜粋〜


実はこの話を藤井先生から直接聞いたことがある。いつ何の機会だったか覚えてない。赤字国債否定論を述べた私に対して、その通りだと頷きながら参考のためにと当時の経緯を話されたのだ。

二度にわたるオイルショックを回避すべく、その名の通り‘特例’で発行された国債だった。そして当時の政治は自制し、1980年代には財政再建を行い、残高は確実に減っていく。

再び赤字国債が台頭したのは、記憶も新しいバブル崩壊以降だ。景気対策という名目で大量発行された。この記事にもあったが、現在残高は52兆円にもなる。しかも結果景気は回復していない。

政治は柔軟でなければならない。当時藤井先生たちが赤字国債を発行したことは、判断として誤りではなかったと思う。しかし‘特例’であったものを日常的にしてしまったのは、今の政治を覆っている惰性そのものだ。

先人の智恵をより良く発展させることは大切だが、曲解し悪用してはいけない。


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