てらさき雄介の日記
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22年前の今日、東海大相模を受験した。今思えば小田急相模原の校舎でだ。しかし結果母校である明大中野八王子に進学した。
小学校時代進学塾には行ってなかったが、定期的に検定試験は受けた。日能研などだ。東海大相模は「もう少しで合格水準です」明八は「考え直しましょう」だった。子ども相手にキツイ表現だ。
従ってすっかり東海大相模に行くつもりだった。私も親もだ。明治の方が第一志望だったのは、明治大学という学校に好感を持っていたからだ。理由は名前とテレビ番組「ザ・ガマン」だ(すいません)。
元々私立中学に行こうとした理由自体が、運動(バスケ)を思いっきりやりたいこと。そしてそれでも大学に行きたいことだった。それで付属校志望になった。
かつて秘書時代に働いていた“狛江・調布・府中・稲城”は第二の故郷だと思っている。同じように東海大相模というと第二の母校という感覚だ。
2月26日投票の町田市議選で4期目の挑戦をする友井和彦氏は、この東海大相模の出身だ。今日の話のこじ付けではないが、友人なのでご支援をお願いしたい。
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