てらさき雄介の日記
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2006年01月09日(月) |
‘どんど焼き’と‘どんどん焼き’ |
幼少の記憶は‘どんどん焼き’だった。大人になって改めて聞いてみると‘どんど焼き’と皆んな言っている。
今日改めて調べてみたら、どちらでもいいそうだ。今更人に聞けなくて少し迷っていたのだ。
さて今日は住んでいる上溝地区内の‘どんど焼き’に二箇所行った。
政治家としてでもあり、かつ地域の消防団員として役割もある。一人二役、一挙両得と言ったところだ。前者の顔は新年の挨拶をしてまわり、後者の顔は消防車を運転し火をチェックする。
二箇所とも自治会主催だが、うち一箇所は火の周辺に神道風の囲いがつくってあった。
私は地域の氏神祭神とその施設については、靖国神社に象徴される官製の国家宗教と区別している。
従って実態として宗教行事でない‘どんど焼き’まで文字通り政教分離してしまうと、伝統的地域行事など何も出来なくなってしまう。
さて最近‘どんど焼き’を止める自治会が増えている。これには場所がないという現実的問題は無論、一部宗教団体信者による異論もあるそうだ。更にはダイオキシンの問題と関連して、火を燃やしている近隣からクレームが入ることもある。
自治会役員などが説得に行き理解を得れば実施されるが、それが困難となると中止され、以後再び開催されることはない。地域の伝統行事がそれをもって半永久的に行なわれなくなるのだ。
民主主義とは対話と相互理解である。ある意味とても面倒くさいものだ。政教分離で異論を持つ宗教団体も、環境云々でクレームをつける市民も、当然意見を言う権利はある。確かに内容にも一理ある。
それに対して対話すらせずに終わってしまうならば、地域行事の今後にとってのみでなく民主主義の実践という意味でも禍根を残す。
簡単に中止して欲しくはない。ひとつひとつ意義を考えるのが大切だ。
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