最強の星の真下

2003年08月23日(土) チーム不振の理由として思うこと。

風邪気味疲れ気味夏バテ気味の身体に鞭打って、久々に某球団の応援のため球場に足を運んだ。

腐れ試合だった。


選手それぞれが「何とかしなくては」とか「ここで塁に出なくては」とか、とにかくどうにかしたいと思っているという事は、彼らのプレイからよく見て取れた。
彼らは自分の打った球が凡ゴロでも凡フライでも、必死に塁に向かって走っていた。
彼らのうちの何人かは、投手の後ろで一生懸命アウトカウントを増やすために守っていた。まあ誰とは言わないが「お前もっとちゃんと取りに行け!」と言いたくなるプレイも無くはなかったけれど。
まあ大部分の選手たちは暑い中、それなりに頑張っていた。

しかし彼らには、「自分が何をしなくてはならないか」が全く頭に思い描けていないように見えた。何もビジョンが見えていない。
試合に勝ったとしても、偶然上手く数人の選手の調子の良さが重なったから、という勝ち方をしているだけであって、何をすべきか各々がしっかり自覚している様子はない。「何となく」勝っているのだ。
だから次に繋がらない。

個人個人の「何とかしなくては」「何とかしよう」という思いを纏め、その思いに方向性を付けるのは、監督の役割ではないのか?
1人1人を的確に当てはめた明確な図を描いて見せるのが監督の仕事ではないのか?

拙攻全てが監督の責任とは言わないが、試合を見ていて、その大部分について監督に責任があると確信した。

一言で言うなら「行き当たりばったり」。
といっても流石に日替わり、という程ではないが。
しかし監督自身に「何をしなくてはならないか」の認識が無いとしか思えない采配・人員配置・人員交代、言動・・・が目に付く。

監督業は初めてだからといって、そんなものが言い訳になるはずもない。
ビジョンの組み立て、人材の育成には適度の想像力、適度の現実把握、適度の人心把握が最低限必要だと思う。
今までの采配を見る限り、彼にそれらが備わっているようには全く見えないのだ。
自分にそれらの能力が備わっているかどうか、その見極め見通しが甘すぎた結果が今のこの状態なのではないか。


やる気を無くした選手ほど再生が難しいものは無い。
何とかしよう、何とかしなくては、と選手が一生懸命思っているうちに手を打つべきだ。

選手が球団に愛想を尽かす前に、フロントは監督に戦力外通告をして首脳部をすげ替えたまえ。





・・・それにしてもファンというものは本当に有り難いものだ。
こんな腐れ試合でも、こんな腐れシーズンでも、愛想を尽かしてメガホンを投げ込むこともなく、敵チームの応援の傍若無人な輩にも負けるものかと音量を競い、毎回必死で声を枯らして応援しているのだからねえ・・・。

球場だけではない。
お茶の間テレビの前で、毎試合、どんなに沢山の人が応援していることか。
良いプレイが出ればテレビの前で歓声をあげ拍手をし、下らない負け方をすれば不機嫌に無言でテレビを消す。
夜、ご近所から聞こえてくる歓声で「あ、あの家も“そう”なんだ」なんて親近感を覚えたりする。
やっと30勝、なんてチームだってえのに、そんなファンが沢山いるんだ。
ちったあ意気に感じるって事はないのかい、横浜ベイスターズよう。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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