diary/column “mayuge の視点
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一杯の支那そば

 「いらっしゃい!」

 威勢のいい声が小さな店内に響く。都内でラーメン店『たま家』を営む阿部正博さん(33)がその声の主だ。

 「横浜家系」の人気店で修行をし、のれん分けを許されて一年半になる。そんな阿部さんも、この商売を始めるまでにはいくつかの仕事を渡り歩いた。だが最後に辞表を提出したとき、彼はある決意をしていたそうだ。腹のなかにあったのは、資金を貯めて商売を始めるということ。それがラーメン屋だった。

 原点は小学六年にさかのぼる。近所に、その後ラーメンブームの火付け役となる店ができた。友達に誘われて食べにいった。その味は子供心にも衝撃的だったという。

 決意の辞表のあと、運送業者で働き始める。トラックの窓から話題のラーメン店を見つければ、片っ端からのれんをくぐる毎日。週七日、一年間で数百食を試した。一方で開業フェアなどのイベントにも精力的に顔を出す。昔から「勉強は大嫌い」だったという阿部さんは、「このとき初めて猛勉強をした」と笑う。

 彼を支えたのは「恩師」たちの教えだった。高校生のときにファミリーレストランでアルバイト。初めての仕事だった。「すごくいい人だった」というその店の店長は、ただ作業を教えるのではなく、お客さんをどうしたら喜ばせられるかということを大切にする人だった。

 専門学校時代には「唯一心を開ける」教師に出会った。その人から教わったのは、「人としての生きかた」。恩師たちから教わったのは、「こころ」の部分だった。

 この商売で最も気をつけていることは何かという問いに、一呼吸おいて答える。

 「信用と味、ですね」

 何十回も足を運んでくれるお客さんは裏切れない。いつ来ても開いている。いつでもうまいラーメンがある。そんな店でありたい。

 恩師たちの言葉を胸に、彼は一杯六百円のあたたかいラーメンを今日もつくり続ける。

2004年01月11日(日)

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