diary/column “mayuge の視点
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「個性」なんていらない

 先日、テレビで浜崎あゆみがしゃべっているのを耳にした。そこで感づいたのが、いつの間にか、しゃべり方が「普通」になっているということ。この人って鼻にかかった甘ったるいしゃべり方してなかったっけ? やっぱりヤツも「つくって」いたか。

 こうしたことは、たしかに昔からアイドル歌手なんかにはよくあった。明らかに不自然な「かわいこぶった」、「ちょっと変わった」しゃべり方を自ら演出する。マイナーな例で恐縮だが、森口博子しかり、山川恵里佳しかり……。そういう意味では千秋はエライ。いまのところ変わっていない。

 まあ芸能界も生き馬の目を抜くような厳しい世界だから、そのなかで這い上がろうと思えば、なんらか目立たなくてはいけないのだろう。王道の路線を進めないとなれば、「個性派」を狙うというのもわからなくはない。彼らにしてみれば周到に計算した手段なのだろう。そのやり方を決して否定はしない。ときに目立とうとする姿勢は大事だからだ。

 だがここで思うのは、個性ってそういうことじゃないんじゃないの?ということなのだ。そんなものは結果的に否応なくにじみ出るものであって、自分でむりにつくっても仕方ないじゃんと言いたいのだ。

 この「つくられたしゃべり」、気になりだすともう止まらない。民放のスポーツアナの「絶叫調」も耳障りこの上ない。そんなに不快なほどの「個性」の押し売りはやめてくれ。俺は純粋に試合を楽しみたいんだよ。

 ラジオ番組のパーソナリティーにもいる。なんだか他の人に似せたようなしゃべり方だなあ。勧誘の電話をかけてくる営業の人もそうだ。「営業口調」。あれは本人だけが自分のしゃべりに酔っているような感がある。ついでにいうと、電車の車掌さん。なんなんだその声は? あんたはいったい誰なんだ!?

 ただ自分らしくありたい。そう願う今日この頃である。

2003年12月25日(木)

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