『北の国から』の五夜連続放送を見た。
このドラマが積み上げてきた時間には、改めて感じ入る。回想シーンだけで泣けるのだ。なにせ二十一年前のシーンに現れるのが、出演者自身のかつての姿。吉岡秀隆のランドセル姿が、岩城滉一の二十代の輝きが、この物語がフィクションであるということを忘れさせる。
登場人物の純や蛍と僕は、ほぼ同年代だ。つまり視聴者である僕もまた、彼らと同じ時代を同じような目線で生きてきたわけだ。それだけに、彼らの一つの行動、一つの思いに、自らの姿を重ね合わせてしまう。純が「父さん、ごめんなさい」と泣けば、こっちも「ついでに僕もごめんなさい(涙)」なのだ。
それにしても、親というのは、どうしてあれほどまでに激しく、あんなにも無条件に子供を愛することができるのだろうか。毎晩その凄まじいパワーに圧倒され、親不孝者の僕はそのたびに涙を誘われた。一人で見ておいてよかった。
三十の声が聞こえるようになってからだっただろうか、僕も家族のことを考えることが多くなった気がする。それは、どんなに苦労をかけても黙々と親の務めを果たしてくれた「パワフルだった親」が、いつの間にか、しかし確実に「老人」になろうとしているのに気がついたからかもしれない。
それもそのはずだ。現実の世界でいえば、あの長嶋さんでさえ、ひげ剃り跡が青々としたプリティな「オジさん」だったのが、気がつけば総白髪の「おじいちゃん」になっていた。「宇宙人」でも年をとるのだから、一般人は推して知るべし。人間、時の流れには抗えない。
ドラマは、子供たちが再び新たな人生を歩み始めるところで終わる。彼らのなかには、親の戦う姿から教わったことがしっかりと息づいている。ひるがえって思う。自分もいい年だ。しっかりしなくては。
2003年12月21日(日)
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