DOTFAMILYの平和な日々
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2012年07月02日(月) 葬式騒動:その4

というかね、実は私がカルチャー・ショックに陥ったのは、ダンナの妹がお寺に問い合わせる前のことなのだ。

ダンナが「厳粛であるべき葬儀中にスライドショーとは何事か!」と反対していた頃・・・

前にも書いた通り、ダンナの上の弟の嫁の実家は東本願寺の檀家である。二人は結婚式も東本願寺で行ったそうである。(その頃私はまだ日本で暮らしていた。)親族は葬式も結婚式も全て東本願寺で行うことになっているそうである。(これ、建前ね。葬式はそうだけど、結婚式はほとんどの人が教会でやっている・・・アメリカ人だもん。)だから、彼女に言わせると、私のダンナは仏教の事は何も知らないくせに、偉そうに口を出すな!だそうなのである。

確かにダンナは仏教のことも日本の習慣も知らないが、どんな宗教であれ葬儀をショーにしてはいけないのではないか感じているようだ。が、「仏教徒でもないくせに仏教で育った私より仏教に詳しいとでも言うのか!知ったかぶりをするな!」と言われると反論できなくなるらしい。

さて、義妹は何故、葬儀中にスライドショーをやろうなどと言い出したのであろうか?義妹の言い分を書く前に、スライドショー作成は義妹の趣味であるということを断っておこう。彼女は自分が作るスライドショーはすばらしく、皆に喜ばれて感謝されていると常々自慢している人である。この場合の皆とは、彼女が知っている人全員、一人も漏れずに、という意味である。アメリカ人だって礼儀で「すばらしいショーでしたね」と言うことはある、というのを彼女は全然理解していない。人それぞれ、好みがあるということも理解していない。いや、知ってはいるのだが、自分が正しいので、自分がやることをやらない人はそれはその人が間違っている!という発想であるらしい。そういう人達が戦争を始める、というのはもちろん大袈裟だが。

そこで、自分の親戚の葬式でもやったそうである。もちろん葬式中に。(彼女には「感心しません」は通じない。)その時の葬式が非常に評判がよく、みんなに喜ばれて、他の人の葬式でもやったそうである。何回やったのかは知らないが、とにかくあまりに評判がいいので(『評判がいい』葬式って何だ?)日本の東本願寺でも、アメリカ式のそういう葬式を来月から取り入れることになったと言うのである。(彼女は最後まで浄土真宗という言葉は使わなかったので、ここでは東本願寺=浄土真宗ではない。ま、どちらかといえば、東本願寺=仏教かな?ちなみに、ロスアンジェルスのダウンタウンにはほとんどの宗派のお寺がある。)葬式中にショーをやるのが、これからの葬式の正しいあり方だそうである。

東本願寺の檀家の方、「それは間違っている」と反論してください!

ところで、葬式というのは普通1時間程度だと思う。お寺や葬儀場の椅子は柔らかいクッション付きのソファーではない。年寄りの葬式には年寄りが出席することが多い。正座に比べれたら楽だろうが、固い椅子のに姿勢を正しく1時間座り続けるというのは苦痛なのではないだろうか?腰が弱っている方も多いだろう。「我慢」の世代だから、文句を言う人はいない。しかし余計なことは付け加えないで欲しいというのが本音なのではないだろうか?(しかも、そういう事はお葬式の後にできるんだから。)そりゃ遺族の気持ちを一番重視するべきかもしれないが、「他の人に対する思いやり」というのは仏教でも大切な教えの一つではないかい?で、ダンナもそう考えた。「そんなことしたら葬式が長引く!」(スライドショーは約20分だそうである。)すると・・・

「それじゃ読経中にやればいいじゃないか!」

ここで、私は一気にカルチャー・ショックに陥ったのである。日本の東本願寺がアメリカ式のお葬式を取り入れるというのは個人的には反対だが、それが時代というものならば仕方ないと思う。しかし、読経中に参列者はスライドショーを楽しむ、ということは日本では絶対に起こらないと私は信じている。信じたい。ありえないよね?誰か、ありえないって言って!

アメリカではそこまでアリなのか?

注: ロスアンジェルスの東本願寺は読経中にスライドショーをやることは許可していませんし、過去のにそのようなことが行われたこともありません。私が自分で確かめました。「読経中にスライドショーをやってもいい」と言ったのは、お寺ではなく、義弟夫婦です。


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