2015年10月25日(日) |
2012〜13年にあったこと(2) |
2012/6/2
朝、実家で掃除や洗濯をしていると父さんから「今日から日曜の夕方まで一時帰宅できることになりました。」とメールが着信。まぁ、まだ抗がん剤も始まってないし調子もいいからねぇ。私は疲れることになりそうだけどな…。 お昼、母さんの病室でご飯を食べていると私服に着替えた父さん(帰る気満々)が登場。父さんの病室は3階、母さんは7階、食事は下の階から配られるのでお昼ご飯を自分の病室で食べてから着替えてすぐに母さんのところにやってきたみたい。ここの階は食事を配膳されたばかりだったから、暫くデイルームで待っててもらって父さんを連れて実家へ。久しぶりに自宅へ戻れた父さんは病人だとは思えないくらいドタバタと活動(苦笑)
2012/6/3
父さんにご飯を食べさせたり、病院へ行ったり、買い物に行ったりと動き回った後、特急で帰省してきた弟を駅へ迎えに。さすがに弟も自分の父親が末期癌だと知ったら心配で様子を見に来た……けど、いつもと変わらず動き回り、酒を飲んでいる父さんを見て拍子抜けしていた(笑)
2012/6/5
父さん、抗がん剤開始。3種類の点滴を半日ほどかけて投与。母さんは元気だけれど、傷の回復が悪く(持病の為長年ステロイドを飲んでいるから)整形外科の医師達があれこれと試行錯誤している。そんなわけで本格的なリハビリを始まられず…。
2012/6/9
今週末も父さんまた一時帰宅(苦笑)抗がん剤が始まってるのに酒を飲もうとするから大喧嘩(というか一方的に娘が怒っている)まったくもうー。
2012/6/15
抗がん剤の影響で白血球の数値が少しだけ落ちている父さん、今週末も生活には影響がないということで一時帰宅。「俺は嫌いなものがないぞ」とか言いつつ家族の中で一番好き嫌いがあるから食事の支度が面倒くさいんだー! 母さんはやっと軽いリハビリが始まって筋肉痛で苦しんでいる(笑)
2012/6/23
数値が良好なので父さん退院。私は明日関西の自宅へ帰ることに。犬と戌年のおっさんが首を長くして私の帰宅を待っている…(笑)
※今振り返るとこの時期が精神的には一番きつかったです。父さんが末期癌→どう考えてもあと少ししか「父さんが生きている時間」はない。こんなに(はた迷惑なほど・笑)元気なのに…となかなか病気を受け入れられませんでした。父さんが母さんの車椅子(2人とも病院の寝巻き姿)を押しているのを荷物を持って後ろからついていきながら「この姿を見られるのは今回で最後なのかな」と思ったりしていました。実はこの時、母さんの術後の傷の状態が悪く、皮膚移植の話も出たりしていたので娘はさらに追い詰められていた(苦笑)
肌寒い北海道から蒸し暑い関西の自宅へ戻った後はいつもの生活が待っていました。 自宅にいる父さんは仕事(警備員のパートや細々続けている自営業)に復帰しながら通院&母さんの面会をドタバタとこなしているようです。元気。
2012/7/6
抗がん剤の副作用で白血球の数値が下がっている父さん、本当は入院しなければいけないのに春から予約を入れていた遠方(実家から100キロ以上離れてる海)での船釣りに行くと言ってごねまくり。「感染症にかかったら大変なことになります」と主治医に言われても聞きやしない(苦笑)入院中の母さんが何度も呼ばれて説得を頼まれたらしい……が、「頑固者スイッチ」が入った父さんは誰の言うことも聞かないということを家族は嫌になるほど知っているし「…もしかしたら船釣りに行けるのも最後かもしれないからね…」と「何があっても自分の責任だ」的な誓約書にサインして出かけさせた(笑)ちなみに久々に仲間達と行く釣りは大変楽しかったみたいで、帰ってきて片付けも早々に病院へ行って血液検査をしたら数値がよくなっていたらしい(驚)当然呼吸器科では「命を顧みず釣りに出かけたおっさん」とばっちり覚えられる羽目に(笑)
2012/8/11〜13
広島県某田舎のダンナ実家へ帰省。私の両親よりもずっと年上の義両親は相変わらず元気だ。今回の大ニュースは義兄が離婚していたこと。バツ2になっていました(苦笑)義実家の隣町に住む義姉夫婦仲も雲行きが怪しいし…。さすがに義両親が少し気の毒。
2012/9/1
母さん退院。今回の入院日数は丁度100日だったらしい。長い(苦笑)。でもまだあまり歩けないから、通院は車椅子を使っているようだ。これから厳しい冬がやってくるし、春までに少しでも歩けるようになるといいけれど。 父さんは今まで投与されていた抗がん剤が効いていないので、別の種類のに変えることに。警備の仕事に行ってるけど、最近は疲れが残るようになってきて少ししんどそう。
2012/9/20
今日は楽しい給料日………なはずが、珍しく早い時間に(と言っても午後10時頃だが)帰ってきたダンナ、開口一番「10月1日付けで滋賀の部署に配属されることになった」 …………はい!? 我が家からは通勤できない距離なので、当然の流れで単身赴任という形に。確認するが今日は「9月20日」。異動日は「10月1日」……あと約10日でこのおっさんを一人暮らしさせる引越し準備をしろと!?
ここから暫く慌しい日々。でも若い頃「引越し魔」だった私は、文句を言いつつも10数年ぶりの引越し作業が楽しかったのかも……。
2012/11
単身赴任生活になって約1ヵ月。ダンナは金曜の深夜に自宅へ帰ってきて、日曜の夜(色々食べ物を持って)滋賀の部屋へ戻っていきます。「毎週末帰ってこなくていい!!(その方が金銭的&精神的にも楽だから)」と言いたいものの本人には言えず(苦笑) この頃、父さん体力がもたなくなって大好きだった警備員の仕事を辞めました。
2012/12/中〜
父さん、また心臓や肺の周りに水が溜まって状態がよくないので入院。でも、本人は「少しでも動いたり歩いたりすると凄く息苦しくて動けなくなるけど、それだけだから。」と色んな管や点滴をぶらさげながら言っている。げっそり痩せてもいないし(食欲はあるけど胃が圧迫されていて一度に食べる量が少ないから、ちまちま食べている)、相変わらず声が大きい(苦笑)でもこの時点で家族には「余命3ヶ月」との宣告が。私もダンナも弟も「とりあえず」な喪服は持っていたものの、年齢的にそして「これからやらなければいけない」立場的にもきちんとしたものを、と慌てて買いに走る(笑)世間はクリスマスで浮かれてる時期なのに…と思いながら漆黒の服を選んでいました。
2012/12/19
父さん72歳の誕生日。おめでとうメールを送ると 「何にもできなくなってしまいましたが、これからの人生を楽しく生きていきたいと思います」という内容の返信。
2012/12/23
「今日は天皇誕生日なのでお昼ご飯が豪華でした。」と父さんからメール。次の日もクリスマスイブなので夜ご飯に鶏肉が出たり、小さなケーキがついたりと季節感満載で喜んでいました。実家で頼んでいたクリスマスケーキをデイルームで父さん、母さん、トシオ伯父夫婦で食べていたみたいです。母さんは随分歩けるようになってきて、外では「押し車」を使いながら移動できるようになりました。もちろん短距離だけど。
2012/12/28
父さん一時帰宅。曰く「年末年始はどうしようもない容態の人以外は帰されるんだ」と。………いや「何かあったらすぐ連絡して下さいね」と言われる程度にはよろしくない容態なんだが(苦笑)
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