くるぶしニッキ

2015年10月26日(月) 2012〜13年にあったこと(1)

お久しぶりです。

……と言っても誰も読んでない可能性の方が高い(苦笑)

最終更新日が2011/9/19なので約4年ぶりの登場です。(Twitterにはたまに出没してますが)

我が家はダンナもわんこもそして私も年齢を重ねてあちこちガタが出つつも、それなりに元気に罵り合いながら(おい)仲良くやってます。

でもこの4年、残念ながら全く何もなかったわけではありませんでした。





2012年3月某日

先月携帯の調子が悪くなって修理に出したり、ノートPCが壊れて買い換えたりと出費がかさんでいた所にコンポまで壊れるという負のスパイラルでげんなりしていた所に母さんから電話。

持病の為、あちこちの骨がもろくなって手術を繰り返している母さん。今度は右足首の手術を決断した模様。


2012年4月某日

母さんの手術、5/28(月)に決定。術前の連休にダンナやわんこを連れて帰省するか、術前術後に私一人で帰省する方どっちがいい?と聞くと「入院に必要なものを事前に買いに行きたいから連休中にきて欲しいな」と言われ航空券を手配。


2012年4/29〜5/4 娘一家帰省

地元空港に父さんが迎えにきてくれる。相変わらず元気そうだけど、少し口臭がするかも。また飲みすぎなのか?(苦笑)母さんは手術前の右足首が痛いようだけれど色々な工夫をして家の中では必要最低限の活動はできるみたい。(外での移動は車椅子)

父さん、朝は顔が凄くむくんでいる。大抵昼過ぎにはマシになるけど…。しかもここ最近便秘気味の様子。「下剤飲んでもきかねーなー」と言ってる。去年、腸の具合が悪くて2週間ほど入院したことがあったから(父さんは10数年ほど前に大腸がんで腸を切除する手術をしています)、もしや同じ症状なのかなと思いつつ連休終了の為、娘一家は帰宅。



この後、父さんはどんどんお腹が出てきて「元々太ってるのに酷いことになってきた」という状態に(苦笑)さらに「何だか最近息苦しくて、仕事で階段上るのが辛いんだよなぁ」と。

結局母さんの入院前に父さんも入院することになりました。「去年のことを考えると父さんは2週間くらいで退院できると思うから(傷の治りが悪い母さんは未定だ・笑)父さんの退院まででいいから帰ってきてくれないかい?」との要請で、急遽私一人でまた帰省することに。


2012/5/25

前日に帰省していた私はこの日の朝、母さんを入院させたりとバタバタ過ごしていました。麻酔科の担当医に手術時の説明を受けていた所、父さんから「病状の説明があるから呼吸器科にきてくれ」とメールが。「……内科に入院してるのに呼吸器科???」と思いつつ母さんを病棟へ送り急いで向かうと…



外来の診察室で肺のレントゲン写真や色々な検査結果の数値を淡々と説明され、ごく普通の口調で「肺癌のステージ4(所謂「末期癌」)です」と宣告されました。


ちなみに説明を受けたのは私と母の兄のトシオ伯父さん、そして父さん本人(苦笑)。
最近は本人にズバッと告知するんだなぁ…と思いながら父さんとトシオ伯父さんの顔をちらりと見ると2人とも呆然としてました。そりゃそうか。私だって…と思いつつ、ここは娘がしっかりせねばと、これ以降の説明&質問などは主治医と私の2人で進め、終了。
とりあえず来週は脳と骨を検査して転移がなければ肺にある癌細胞への化学療法(抗がん剤)を始めることに(完治はできないので現状維持をする為)。ちなみに癌細胞を調べた結果、裁判沙汰で有名になった「イレッサ」は父さんの癌には効かないことが判明。遺伝子の型が合えば他の抗がん剤よりも効き目がいいらしいから残念…。


ということを母さんに説明すると本当に驚いた顔をした後、「……とりあえず自分の手術は予定通りやって少しでも早く動けるように頑張るよ」と言ってました。さすがにこの日の夜は父さんも母さんも私も色々考えてあまり眠れず(と次の日お互いに言い合っていた)。

 
2012/5/28

母さん手術の日。私は朝早い時間から病院へ。トシオ伯父夫妻にユウゾウ伯父、テツオ伯父の妻ミエコ伯母(伯父本人は仕事と…ある理由の為(後述)平日はここの病院にあまりきません)カツコ伯母夫妻など続々と母さん方の親戚達が集まりました。母さんの手術日恒例の近隣親戚大集合(苦笑)

同室の入院患者さん達に(いつも大抵4人部屋です)お昼ごはんが配膳される中、「行きましょうか」と看護師さんが2人やってきました。ベッドからストレッチャーにうつりガラガラと運ばれていく母さんにぞろぞろついていく私達。いつも思うがブレーメンの音楽隊のようだ…。

母さんが入院している7階の病棟から2階の手術室へ。「頑張ってね」「うん」と手術室へ吸い込まれるように消えていく母さんを見送るのも、もう何度目かわからないけれど毎回切ない気持ちになります。「問題なく帰ってこれますように」と。入院や術前術後の準備をてきぱきとこなせるようになってもこればかりはいつまでたっても慣れない。

などとひたってる間もなく、私には「母さんが無事に(手術室から)出てくるまで、親戚の相手をすること」という重大な使命が。これが凄く大変なのですよ……………。

(親戚接待は省略・笑)

母さんの手術は無事終わり、5時すぎに病室に戻ってきました。全身麻酔で朦朧としている母さんの顔を見届けた親戚達が帰宅した後も私は残ってあれこれ動いていましたが、麻酔が覚め始めて暫くたった頃「今回の術後は凄く楽だよ〜。だからそろそろ帰っても大丈夫だよ」と言われて8時ごろ帰宅。

と書くとあっさりしていますが、車のアクセルを踏むのも嫌なくらい疲れていました。夜ご飯も食べず、お風呂に入って就寝。明日も「術後母さん」の世話をする為早く病院に行かねばーーーー。


2012/5/29

術後なのでいつもより早めに病院へ行くと、げんなりした顔の母さんが。「…あんたが帰った後から具合が悪くなって大変だった…。今までで一番大変だったよ…」と。あららら…。でも一番酷い状態は脱した模様。尿の管も取れて、車椅子に乗ってトイレに行ったりしているようです。
父さんは心臓や肺の周りに溜まった水(体液)を抜いたら、お腹まわりに溜まっていた水も一気に抜けたようで夜中に何度もトイレに行って(尿として排出されたようだ)大変だったーと笑ってました。体重も減ったし浮腫みもなくなって本人曰く「すっきりした元々のいい男」に戻ったらしい(苦笑)


2012/5/31

父さん、脳と骨に転移はなかった模様。一安心……。というわけで、肺にある癌への抗がん剤を始めることに決定。糖尿食であまり美味しくないご飯を食べている母さん、毎日「漬物を持ってきて」とかリクエストが多い(苦笑)糖尿食の意味がないじゃないか…。ちなみに父さんも糖尿食だったんだけど、前回の入院で「普通食、但しご飯類は3分の1カット」に変更してもらったからあまり食事に対して文句は言っていない(笑)2人ともそれほど酷い症状じゃないから、おやつとか持っていっても平気だしねぇ。


(今回は編集上過去記事に続きがあります。目次から飛んで下さい)


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