8610,閑話小題 〜何度も書くが・・・ 実に良い時代に生きたもの! |
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2025年01月13日(月)
* あと1年で80歳になる! 何と79歳である。人生としては当りになると、勝手に思っている。 さしたる大事故があるでなし、死に病にも当たらず・・・順調に過してきた。 両親、兄姉に恵まれていたのが大きい。連合いに恵まれて、トラブルもなくて 平々凡々の日々を経過してきた。両親含めて10人・・・逸材もいたわけでも なく、大方は難なく、過ごせたような。両親は、第二次世界大戦の戦禍を何とか 潜りぬけて、それは大変だったと晩年の思い出話で聞いていた。 産まれた時が終戦半年の時分。何やら街中は、大火の中で、商家の仕事が 定まらず、何とか日々を潜りぬけていた記憶が鮮明に残っている。 両親からしたら、不安 焦りがゴッチャになっていたはず! それは不安だっただろうに・・・ 可能な限り、戦争は無いにこしたことはない。 恵まれていた、それは時代の 変化を乗越えたこともあるが・・・やはり、実家の商売が波に乗れたことがある。 一家が砂漠のど真中で、明日の食料を求めて彷徨っていた実感があるため。
両親が品行方正だったことも・・・。只管、国家を信じて、日々是好日で生きて きたこともある。終戦の戦禍の中から、友人の家庭内の厳しい現実を傍目にして 捉えられたことは大きかった。それは幼稚園の頃から大学の頃まで続くことに。 まだまだ、生活に追われて精一杯だった。それは一生を通して貫いていた。 両親二人と、子供達8人の関係を己を含めた家族の生き様から多くを学べた ことが大きい薫陶にもなっていた。1人派手な姉が両親に反発し、抜け駆けを していったのも、分からないでもない。青春が無かったのが、人生の悔いとして 魂を喰い蝕んでいたことは、自身さえ気づいて無かったようだ。 要するに、 戦争の、家族の犠牲者としての立ち位置の犠牲者としての私。分からないでも ないが、かなり危ない考え方である多くの難局が然うさせた事もあるが・・・ とにかく全員が只管・・・良く生延びることが}指標だった。
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