2009年07月14日(火)
* 池袋の早朝でみた荒んだ世界 先週に大学の同期会があり二泊してきたが、二泊目の池袋のホテルを早朝にチェックアウトをして、 駅までの500mの路上で見たホームレスの姿は何とも殺風景であった。二人づれの若い女性もいた。 初めてアメリカ・ロスの下町をバスの中から見た、あの何ともいえない廃墟の中で佇んでいる黒人達の 虚脱感の顔と同じ空気。 何か、この十年で世界は変わってしまったようだ。 国が衰退を始めると、こうなっていくのだろうか。 * 自民党の末期 都議選は、予測通りに自民党が惨敗をした。 小泉のパフォーマンスで国民は騙された怨念から 今度はウネリが反自民に変わるのも当然の帰結。 今度の衆院選でも惨敗は必然である。 情報化が大きく国民の意識を変えたのが、自民党の生枯(なまかれ)の元首相達には理解できない。 と言って、民主党の大勝も問題になる。 その辺の勝たせ方もある。都議会選は、その辺は絶妙な 当選バランスであった。 なるほど天の声である。 本当に麻生で戦うのだろうか? 民主党が大勝するだろうが、良くも悪くもガラッと雰囲気は変わるだろう。 自民党が覆い隠してきた 膿が一挙に出る可能性が大である。
* 腰痛はつらい 腰痛は、だいたい10日間が目安である。ただ過ぎ去るのを待つしかない。 そして予測どおりに収まってきた。 色いろの要素が重なって発症するが、今回は時期的なこと(梅雨)と、 冷たい飲み物を昼に飲みすぎたことにある。 最近は、細心に注意しているので重症にならなかったが。 それにしてもタイミング的に、なってはならない時期に発症する。何度か秘境ツアーの直前になった経験がある。 その時もギリギリの状態だったが何とか行くことが出来たが。
・・・・・・・・・・ 2657, いちゃつき ー2 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。 「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」 という内容だが。いちゃいちゃする中で互いに自分を溶け込ませて、距離を無くす至福の状態は男女の仲だけでなく、 宗教の中にこそ、その原型があるという。そこで思い出したのが、一月前に図書館で借りたDVDの「A2」という 映画である。オウムの内部から、住民との対立を両者の目線で撮ったドキュメント映画である。 <後でわかったことだが、「A]の続卷である。それを探したが、図書館にはなかった。> 住民の反対運動、右翼、警察、マスコミ・・地上波のテレビから映し出される視点とは全く違った内容。 社会的にオウムは凶悪犯罪を犯した団体だけに、一方的なイメージが先行してしまっているのも事実である。 これを観ていてオウムの内側から撮影された映像も見る価値もあると思えた。 それより、何ともいえない教団内の共同意識の甘酸っぱい空気に驚いた。 あの空気から下界に出て社会生活をしろというほうが無理、それが宗教の解脱の世界の恐ろしさである。 それを表層だけをみて、一方的に純朴な信者を攻めるのも気の毒にさえ思える内容だった。 ーその概要はー 1999年10月、群馬県藤岡市。倒産した印刷工場とその社長のかつての自宅に、多数のオウム信者が移住した。 工場の前には群馬県警が常駐し、その外側には地元住民たちによる監視小屋ができる。 やがてここでも、他の地域と同じように地元住民の反対活動によって信者たちは退去していくことになる。 地元住民のボランティアで組織される監視団は、意外にも久しく失ってきた住民同士の交流の場として機能していた。 また、信者との濃密な時間の共有はオウムに対する嫌悪とは別に、信者個人に対する人間的な心のつながりを 芽生えさせていった。 ー 以上だが、 観ているうちに、信者同士の‘解脱’と‘救済’への修行で、何とも言えない連帯感がみてとれた。 彼らの距離感が消えた不思議な感覚が、『いちゃつき』と同じ状態である。 そして反対住民とも、何時の間にか奇妙な連帯感が生まれていくのを映像がしっかりと撮っていた。 集団殺人は許されるものではない。このドキュメント映画で修行とおして「自分と世界の距離感、そして自分と自分の距離感」 が無くなっている状態(法悦)=いちゃつき、からくる解脱と救済の世界を、監督は表現したかったようだ。 オウムとは宇宙からの振動という意味もあるが、それに己を同調できるように修行するのが、彼らの目的のようだ。
・・・・・・・・・ 2007年07月14日(土) 2293, 女ってバカなんじゃないか? 才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪
昨日、「男ってバカなんじゃないか?」というテーマで書いた。 しかし逆に「女ってバカなんじゃないか?」という論も成り立つ。 中村うさぎの「霊長類オンナ科図鑑」には「バカ女」という切り口で、多くの女類が小気味よく分類されて掲載されている。 女も男も、逆の立場から互いを見ればバカに見えて当然である。 「男は女を、『可愛いかどうか』という優先順位を変えることができない。それってバカじゃないかい?」という見方は、 成る程正しい。しかし大部分の女たちは一生の間、他人様に可愛い、奇麗と思われたいため、エステなどで苦労するのだろう。 それでも無理と思えば、ブランド物でフォローしようと涙ぐましい努力をする。 多くの趣味を持って教養を積んで、内面の美しさが滲み出てこそ真の美しさになるんじゃないか。 男に対しては、冷静に価値規準を変えて評価するのに、こと自分に関しては、からっきし努力をしようとしないで、 ブランド物を追いかける。 極めつけはハン流ブームに乗ってフヤケタ男に熱を上げ、最近は童貞趣味に陥って 「はんけち王子様」とか「はにかみ王子様」とかに、熱を上げているのだろう。「全くバカじゃないかい、女って!」 というのが、亡国日本の女の姿だろう。 バカといわれる女の成れの果てが「オバサン」である。今さらエネルギーを内側へ向けることができないから、 徒党を組んでグルメだ旅行などに走り回る。 彼女らは恥じらいを忘れて恐れをしらない一群として、居酒屋・ファミレス・デパート、そして観光地へと繰り出す。 ーー てな、理屈になる。 まあ、ドウでもよいことだが! 男といえば社会的刷り込みから抜けきれず、 それを傍目に大人しく佇む。 そして妻に絡みつく濡れ落ち葉! どっちも どっちだが・・・ byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ ・・・・・・・ 2006年07月14日(金) 1928, ブログについて おっ w(゜Д゜)w ハァョ? 二月ほど前に、ブログについて書いてみた。 「 2006/05/14?/15 1868, ブログは社会革命ー(1) 1869,ブログは社会革命ー(2)」 『ウエブ進化論』と『グーグル』の中から抜粋し、まとめたもの。
それから二ヶ月経ち、ブログを開設してみて、その可能性に驚いている。これは社会の根本を変えるだろう。 携帯電話とは違ったカタチの情報発信基地を、気楽に誰もが持つことが出来るようになった。 このHPを作るのにパソコン教室に通ったり、プロのSEに事務所に来てもらってデザインなど苦労した。 それが現在では20分から30分もしないうちに、数倍も良いデザインで、かつ便利な機能を持ったものが無料なのだ。 そのためか、2~3年で600万人以上がブログを持つようになってしまった。 ハッキリいって、このHPを持っていることが自慢であった。それが、現在では20~30分で誰もが持てるのである。 随想日記のように5年間書き続けた在庫は、自分の経験と知識の蓄積庫になっているし、 書き続けたことによって世界観と価値観が全く変わってしまった。英語を使いこなせないハンデも知った。 ブログにはトラックバックや、RSS配信機能という機能が付いている。 HPを5年維持してきたから、それが凄い機能か解るのだ。テーマがドラッガーについて書いたとしよう。 まず検索にドラッガーの文字を入れて、共感できるブログを幾つか見つけて、 トラックバックすればよい(その日書いた内容を相手のトラックバックのコーナーに貼り付ける)。 相手のブログのアクセス順位が高いほど、多くの人が見ているので、多くの人がクリック一つで 自分のブログに見にきてくれる。 そのテーマで、多くの意見の書き込みもある。 また自分が気に入ったブログに対して、RSS機能を使って張り込んでおけば、 相手が新たに書き込んで発信したと同時に、自分のブログのコーナーに数行の文章が張り込まれるのだ。 さらに私が毎日苦労している分類への仕分け作業も、クリック一つで仕分けされる。 これからのブログは写真と文から映像と文へと重心が移行するという。 ライブの映像の流すのもあるようだ。一人一人が、独自発信機能を持ったのである。 私の同年代の半分はインターネットを使いこなしていない。今年になってから、インターネットを使っている人と、 使えない人と二分類で見るようになった。しかし、これからは三分類に分けて見るようになるだろう。 使いこなしている人でも、自分のブログを持って使いこなしているかどうか? で見分けて見るようになるだろう。少し言い過ぎか? いや、そうでもないだろう! (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年07月14日(木) 1563, 死について再び考えるー2
死について何回か取りあげてきたが、一番印象に残っているのが、中村天風とドフトエフスキーの死刑執行直前体験。 中村天風は、銃殺の直前に仲間に助けられたが。ドフトエフスキーは死刑直前の恐怖体験をリアルに書いている。 ー以下の話は、あまりにも有名である。 ある本より抜粋してみる 彼は若いときに、革命秘密結社に入ったことがある。それは社会の不正を糾弾する議論のレベルであったが、 秘密警察に目をつけられて、時の皇帝ニコライ一世はメンバーの逮捕を命ずる。 しかし彼らの犯罪の事実は出てこない。そこで政府の面子で有罪となり、軍法会議で刑が確定する。 最終的には、皇帝の恩赦が書き込まれ、シベリアで4年の刑と強制労働と、その後の兵役に服することになる。 ところが、その恩赦を言い渡す前に一度死刑が確定し、処刑の真似ごとをする。政府が仕組んだ罠である。 1849年12月21日、処刑劇が行われる。彼は処刑場に連れて行かれ、三人ずつ銃殺されることになる。 ドフトエフスキーは処刑の二番目である。その時の死の恐怖を「白痴」の主人公の口を通して、以下のように語っている。 「生きていられるのはあと5分ばかり。この5分は本人にとって果てしなく長い時間で、膨大な財産のような気がしたそうだ。 この5分間に最後の充実した生活が送れそうな気がしたので、色んな処置を講じたというのです。 つまり時間を割りふりをして友達との別れに二分間、いま二分間にいま一度自分自身のことを考える時間にあて、 残りの時間はこの世の名ごこりに、周りの風景を眺めるためにあてた。 ・・・・しかし、その瞬間最も苦しかったのは、絶え間なく頭に浮かんでくる想念で、もし死なないとしたら、 もし命を取りとめたら、それは何という無限だろう。 その無限の時間がすっかり自分のものになったら、 おれは一分一分をまるで百年のように大事にして、もう何一つ失わないようにする。 いや、どんな物だってむだに費やさないだろうに」『(世界文学全集・ドフトエフスキー)より抜粋』 減刑が言い渡されると、ドフトエフスキーは狂喜する。その仲間のうちに発狂したものもいた。 死の宣告は人間を極限の状態のおかれる。 人間は弱い存在でしかないのだ。 ーー 以上であるが、この体験があったからこそ大小説家になったのだろう。 バンジージャンプの飛下りの板の先に立ったときの恐怖経験がある。 その時思ったことは、「これは死である。この凍りつくような恐怖は考えていたことと全く違う。 飛び降りるしかないが、今更止めるわけにいかない。何をやろうとするのか? どうしても飛び降りなければならないのか! ただ前に体を投げ出すしかない! 何か時間が止まるという言葉があるが・・・・考えていたことと、実際がこれだけ違うのは初めてである。 しかし、ドフトエフスキーのそれは、比べ物にならないほどのはずだ。 私はガン末期の死の宣告はすべきでないと思う。このドフトエフスキーの心理を、 カタチを変えて経験しなくてはならないからだ。その瞬間から、極限の状態に置かれるのだ。 それも肉体的極限の苦痛で、七転八倒して! 死を考えることは、生を考えることでもあるから取り上げているが。 「死ぬまでは生きているから」と気楽に考えてもいられないが、しかし気楽に考えるしかない。 ーーーーーーーー 1253, 死について再び考える ー1 (字数の関係上カット09年07月14日)
・・・・・・・・・ 2004年07月14日(水) 1198, 口ぐせー2 ーどうしようもない!?
最近ついつい使ってしまう言葉に「どうしようもない」がある。 マイナス用語の最たる言葉が、この「どうしようもない」である。 考えてみたら、これがトンデモナイ言葉のトリックになっていた。 自分の努力不足を棚に上げて、自分で自分の範囲を決め、思考をストップさせてしまう。 デフレには、どうしようもない! もう歳だから、どうしようもない! 頭が悪いから、どうしようもない! からだがわるいから、どうしようもない。 じかんがないから、・・・! おかねがないから、・・・!等々、 知らないうちに、あらゆる機会に使っている。 この「どうしようもない」という言葉は世界中にある。 中国語では「メーファーズ」 フランス語では「セラビー」 英語では「オブライジド」 それだけ、この言葉は世界的に軽率きわまりないのだ。どうしようもない状態を解決していくのが、人間が人間たる所以。 「歳だからどうしようもない」を考えてみても、明らかにナマケモノ、無能者の言いわけでしかない。 「どうしようもない」は「何ともならない」という意味である。 それに対して、「何とかなる」「何とかできる」[何としよう」という意思から努力と知恵が生まれてくる。 最近になって「どうしようもない」と多用していた自分に気がついた。 「ほんと、この不景気にはどうしようもないもんな?」と、何百回呟いたことか! 考え抜くしかないが、それにしても変化が激しすぎる!どうにかしなくてはならない。
・・・・・・・・・ 2003年07月14日(月) 831,アラスカ旅行記ー6
旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。 ・まずは、60代後半の女性。6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。 別れるより良いと、毎月出ているという。 もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して 腹を立てているとか。 聞いていても悲しくなる。「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。 旦那に若い女ができたのが原因だという。また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。 ・若い女性が二人参加をしていた。自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。 黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも 年齢と経験の違いのためか。その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。 その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと 「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。その一人が新潟県の燕の人であった。 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。 今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。魚は釣った後で逃がすとか、 また2年後に来たいといっていた。 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。
・・・・・・・・ 2002年07月14日(日) 456,スイス旅行記
感想をそのままかいてみると ・天気に恵まれた素晴らしい旅行で、数年に一回の大当たりであった。 ・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上であった。 ・自然の雄大さに圧倒された ・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的 ・珠玉のような湖や村が何ともいえない ・毎日が感動感動の連続であった ・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰 ・美しき小さな村々と牧場 38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。 私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。 こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。時系列で印象順に書いてみると ・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった マイエンフェルトが素晴らしい! 今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。 そしてミニハイキング?季節も含めて何ともいえない明るさがよい。 ・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。 デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」が素晴らしい絶景であった あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった。?いろいろな氷河はは見ているがこれだけ身近のパノラマで 幻想的の景観ははじめて見るものであった。これで元を取ったような気持ちになってしまった。 ・5日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト! ホテルの窓からのマッターホルンがまたよいマッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー ーここにこうしてハイキングしている自分が夢の中にいるようであった ・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、そこから見た景観が絶景 ・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・ カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも忘れられない景色であった。 ・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。 しかしやはりその景観は何回見てもよい。 ・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登ったピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい
今回の旅行はただただ良かった!!! ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。
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