堀井On-Line



3023,衝撃的な「ひらめきの話」

2009年07月15日(水)

 
  「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 

 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
 ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番大きかった。
 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ〜インテリジェントキューブ』というゲームです。
 この世界観が突然出て、動けなくなってしまった。 暗い画面に、あるステージが浮いている。
 向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、
 僕はその人たちに『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。 しばらくして、これが僕がやったことがない
 コンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントにのこのこ出かけていった。
 僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、話を聞いてくれたのはポロシャツ姿の
 おじさんでした。 拍子抜けをしたのですが、気を取り直して「この人に望みを託そう」と、決めて、頭の中の世界観を
 話したら、僕のことをジッと見て「その話は面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。
 当時27歳の時です。それからです、わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、
 とにかく勢いよく動くのが始った。 それまでは‘AならばB、BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやっていたのが、
 そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも飲まないとやっていけなかったのが、
 あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。これ以来、わけがわからないけれど
 面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それでCMプランナーになったのです。
 そうしたらスポンサーから話がくると、♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる》
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
  〜〜
 モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえてくるようだった」というが。 
現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある)  
また、数学の天才にも数式を見ただけにで、自分でも知らないうちに答えが出るとかいうのもある。
もちろん十二分の基礎があっての上だが。 飛行機事故で一人助かった少女が、「何か神がかりの顔をしていて、
何かが憑いていたのでは」という、まことしやかな話もある。 これは、ひらめきとは関係ないか。

 ・・・・・・・・・
2658, 幸福の4階建て
2008年07月15日(火)

      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、《人間はあまり「無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
  何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、その感じである。
  ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
  苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。
  それにしても、頭を大きな棍棒で思い切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。
  死ということを前提にして、この4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える
  人生の終わりに、最上の感動を見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答になるほど、
  大きな問いである。「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
            (^わ^)(^か^)(^ら^)(^ん)(^!^)
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2007年07月15日(日)
2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
        オハ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・

ハンカチ王子の後はハニカミ王子とか、いい歳をしたオバサンが騒いでいる。
「これって何?」と、家内に聞いたら「韓流(はんりゅう)ドラマの熱が醒めかけたきたオバサンたちが、
身近な若い子に憧れている現象」と、TV番組でコメンテーターが解説をしていたという。
女性は「シンデレラ・コンプレックス」を持っていて、心の奥で私を探し出してお城に連れて行ってくれる夢が
つきまとうという。 解らないでもないが。この現象の起こる4年前に発刊された
中村うさぎの著「壊れたおねいさんは、好きですか」ー母性という名の魔女たちーに、このオバサンたちの
切ない心情が書いてあった。(また、うさぎ、である)男が女に求める処女性と同じように清潔な王子様願望である。
この中のホストに求めるオバサンの本音が、王子様願望として転換した心情。
    可愛いといえば、それまでだが・・・・ 
  ーー
 【「壊れたおねいさんは、好きですか」 中村うさぎ著
     ー魔女が白雪姫に嫉妬した理由ー  P?64】     
「ホストって、色っぽいオーラが出てないよ。お肌もツルツルで、毛なんか生えてなさそうで、
 男臭さが全然ないんだもん」「まあ・なかには男っぽいのを売りにしてるホストもいるけどさあ、
 そーゆのはたいてい単なる勘違い野郎で、単に無神経だったり、ガサツだったりするだけなんだよねー」
「そうそう、そ?ゆのは男っぽいんじゃなくて、タダのバカだよ。バカにはフェロモンがないからね。
 結果的には、ホストにフェロモンはないってことになるよね」
「男っぽさ」と「ガサツさ」とを混同してる男に、フェロモンなんかあるワケない。
 フェロモンってのは、ある程度、知性や品性を隠し持ってるモノなのだ。
「男の獣性」なんてものに惹かれる女はいようが、それだってよほどの
 マニアじゃない限り、本当にケダモノみたいな男を求めてるワケじゃない。
 心の中に野獣を飼い慣らしてるような男をこそセクシーと感じるのであり、
 野獣を飼い慣らすにはある程度の知性や品性が必要なのである。
 一方、ホストたちの多くは、野獣どころか、愛玩犬のような清潔さと人工的な美貌を
 備えており、そんなお人形みたいな男たちにフェロモンの発生する余地はない。
だが・私も含めた一部の女たちは、そんな清潔で無毛の人形のようなハンサムに、
強く惹かれてしまう。我々にとって、彼らは「王子様」なのであり、
王子様にはフェロモンなんかあっちゃいけないのである。考えてもみるがよい。
王子様がフロモンむんむんの胸毛生やしたラテン男だったら、シンデレラも白雪姫も、
抱かれた途端に鼻をつまんで逃げ出すぜ。だって彼女たちは、処女なんだもの。
世間知らずで臆病な処女のお姫様は、中性的な美貌を持つフロモン皆無の王子様にしか心を許せない。 
と、このようなことを言うと、「中村、おまえは処女のお姫様のつもりか。四十四歳のバツイチ女が」
などと嘲笑されそうだが、自分が処女でもなければお姫様でもないからこそ、私は「王子様」を
必要としてしまうのであった。いや、もっと言えば、私が「女」ですらなくなったからこそ、なのかもしれない。
(字数の関係でカット2009年7月15日)
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2006年07月15日(土)
1929, ローマから日本が見えるー13
                      
 第6章 勝者ゆえの混迷ー2     
  ーグラックス兄弟の改革ー        ー 読書日記 ?

 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。
都市に流入している者達に土地を与えて再び自作農民に戻し、ローマ軍を再建しようと考えた。
土地は貴族のラティフンディアである。125ヘクタール以上の土地を占有している貴族からそれ以上の土地を国家に返させ、
それを市民に再分配しようとした。この政策に平民たちは喜ぶが貴族たちはマイナスである。農民の没落でローマ軍の弱体化は
解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。
反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。兄グラックスは護民官。護民官は神聖な立場のため
反対派も手が出せない。そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、その死体は川に投げ込まれた。
この事件が起きたのは前133年であった。 弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、同じく護民官になって
兄の政策を実現しようとした。このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。(前123)       
                 \(∀\)ココハドコ?  (/∀)/アタシハダアレ?
ーマリウスの軍制改革 ー
 貴族は大土地所有を守ることができたが、ローマ軍の弱体化の問題は残った。
これを解決したのがマリウスの軍制改革(前107)である。
ローマの軍の基本は、財産を持ったローマ市民が武器を自前で調達して従軍すること。
それを狙ってグラックス兄弟は農民を作りだそうとしたのだ。マリウスはこの基本をあっさり捨ててしまう。
マリウスは市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も払うことにした。その費用は基本的には彼の自費である。
兵士として働ける期間は長いモノではなく、年をとったら引退する。その兵には土地を分けて、自作農民として育てていった。
それで兵士不足は解決して、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けた。この軍制改革でローマ軍の質が大きく変化した。
それまでの兵士はローマ市民の義務を自覚して、ローマのために戦っていた。ところが、マリウスの兵はローマのためとか、
ローマ市民の義務として、という意識は小さくなる。マリウスの「私兵化」になっていた。この軍事力で、
マリウスのローマでの発言力が増していった。この後、多くがマリウスのやり方を真似ることになる。
私兵を養った将軍同士の内乱が続いてローマは混乱の時代になっていく。グラックス兄弟の改革から100年間を
「内乱の一世紀」とよぶ。前91年から前88年には、イタリアの都市がローマ市民権を求めてローマに反乱を起こす。
これが同盟市戦争である。ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与えることでこの戦争を終わらせた。
前88年から前82年まで、マリウスとスラ将軍の抗争が起こる。マリウスは平民派、スラは閥族派である。
そして、スラは軍隊は入城することが許されなかったローマ市内に乱入した。
ローマの元老院は、この二人の将軍の抗争に対して解決できなかった。
この結果、あれだけ強大だった元老院の権威が低下してしまった。
                                   つづく
・・・・・・・・・
2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」ー3
 ーマンション編

都心の高層マンションの計画が進んで売れ行きがよい。しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで
不動産不況を引き起こす可能性が大きい。マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、値下がりに転じかねない。
2005年までに、品川、港区、中央区、江東区などの湾岸エリアを中心に40棟以上の大規模マンションが建設される。
現実にマンションの値下げ合戦が激しさを増しているという。
売れ残りが出ると、その後に売り出されたマンションが予期せぬ値下げをしなくてはならなくなる。
特に、今年のマンションの売り出し数がピークに達するから、間違いなくダンピングが激しくなる。
このような高層マンションの破綻が、不動産不況の引き金になる可能性がある。
?基盤整備はカンフル剤になりえるか?JRなどの駅、高速道路の入り口、大規模ビル、
複合大型商業施設などがつくられると、目先は周辺の地価は上がる、それは地価下落を抑える一時的な
カンフル剤に過ぎない。少し時間が過ぎれば、他の土地の値動きと同じになる。
現在勝ち組みといっても、未来が約束されているとは決していえない。
ー西武鉄道グループの問題も地価下落要因にこのグループの本格的なリストラもこれから始まる。
レジャー施設も150あって、スキー場、ゴルフ場なども110もある。
それらの大部分が一気に売却されるようになったら、地方の地価にあたえるマイナスのインパクトは相当大きくなる。
もともと森林を切り開いて、そこに無理にレジャー施設をつくって、
土地の付加価値を高めていったから閉鎖をされれば、価値は元に戻ってしまうだけ。
 ーー
以上要点をまとめてみたが、どう考えてみても地価の下落は抑えられない。「これ以上の不動産の下落はない」
と見ていたが、供給サイドは有り余っているのだから、今後も下がり続けるのは当然である。
特に地方の地価は半値ではなく、三分の一とみてよいだろう。 考えただけでも恐ろしいことである。
地元の新潟の勝ち組の土地は新潟駅の周辺だろうが、そこすらどうなる事か?

・・・・・・・・・・
2004年07月15日(木)
1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、
潜在意識を覗くという面でみると面白いのではないか?
ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。 そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議。
ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。
翌日、家内に寝言で泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。
起きていってみるが、そこには誰もいない。 それも夢であった。
ー過剰情報ー
全国ニュースを見ていると、中越地区が水浸しで沈没しているような感じる。
一番凄そうなところをカメラマンが取っているのだが。情報化はこういう異様な現象が出る。
ほんの限定的な一時的な現象をことさらオーバーに報じる。そういえばイスラエルに行った時の事を思い出す。
アチコチでテロが続発しているイメージが強いが、現地の99.99?の生活は普通である。
世界各国から信者が礼拝に来るが、どこの国の人も家族に戦地の真っ只中に来るように誤解されるという。
よほど自分の病気か自動車事故のほうが恐ろしいのに。

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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」?映画日記

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして
貼り付けておくが、日本の味わいと、スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を感慨深く表現していた。
主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながらストーリーを展開していく
スローなリズムが良かった。美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉が
このストーリを全て言いあらわしているように思えた。また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんで
いたのも印象的である。黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した小泉堯史監督の
新作であることを、インターネットで調べてしった。気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが印象的だったのだろう。
下手な感想文より以下をご覧あれ!
 ーあらすじー
(字数の関係でカット2008年7月15日)

・・・・・・・・・
2002年07月15日(月)
457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー

マッターホルンで凧揚げた!といっても、他人の凧揚げの紐を一時も持っただけだ。マッターホルンを近くに見る
展望台の横の小高い丘で写真を撮っていると、突然ある中年の夫婦が小さな凧を二つ取り出し、揚げはじめた。
家内と登山列車の隣席で話をしてきたという他のグループの夫妻。その写真を撮って欲しいと頼まれた。
そこで「是非自分も記念で凧揚げしてみたい」とお願いすると、気持ちよく私らに貸してくれただけの話だ。
それでも揚げたことに間違いはない!貴重な体験だった。それにしても色々のことを考えるものだが、その情報を持っていたら
私も凧を買っていったに違いない!ーこれも情報なのだろう。 今度からは、大自然のツアーには凧を必ず持っていくつもりだ。
キリマンジェロやタンザニヤのセレンゲッテーの凧揚げなど最高だろう。
10個ぐらい持っていき、現地の人にあげるのも喜ばれるだろう。
その凧は横15cm、縦25cmぐらいの小さなモノだったが、風に乗りどんどん高く舞いあがった。
おそらく西洋凧ではないかと思われるが、玩具屋で捜す楽しみがまた増えた。 いろいろ楽しい!!

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2001年07月15日
 ー旅行中

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