2004年12月10日(金) |
「ギャザリング」正当派オカルト。残忍なものを傍観したいのは太古から人間の呪われた業なのか。クリスティーナ・リッチはまり役! |
『ギャザリング』【THE GATHERING】2002年・英 監督:ブライアン・ギルバート 脚本:アンソニー・ホロヴィッツ 撮影:マーティン・フューラー 音楽:アン・ダッドリー 俳優:クリスティーナ・リッチ(記憶喪失の女、キャシー) ハリー・フォレスター(マイケル少年) ヨアン・グリフィズ(町の青年、ダン) ケリー・フォックス(マイケルの継母、マリオン) サイモン・ラッセル・ビール(村の司祭、ルーク) スティーヴン・ディレイン(美術品修復家、サイモン) ブレア・プラント(ベルナール神父) ブリジット・ターナー(家政婦、グローブス夫人) ジェシカ・マン(マイケルの姉、エマ)
イギリスの田舎町、グラストンベリー。 村祭りを抜け出した若いカップルが丘に登る。 突然消えた2人。深い深い穴に落ちたのだ。男は即死。
一週間後、救助は間に合わず女も死んだ。
2人が落ちた穴は、紀元1世紀の神殿だった・・・! 最古の神殿ゆえ、世紀の大発見、と大騒ぎになるはずだが、 教会は不安と動揺に包まれる。
祭壇(壁)のほうを向き、教会(信者)に背を向ける形で置かれた十字架のイエス。祭壇には、聖人ではない、いくつもの石像がびっしりと磔のイエスを見つめる形で壁に埋め込まれていた。 あり得ないことだ・・。
塩分と水分で損傷が激しく、即刻修復にとりかかることになったが、教会側はマスコミに知られないよう、秘密裏に、と、この町の 司教、ルークに釘をさした。 そこでルークは、ここに住む美術品修復や真贋鑑定の専門家、 サイモンに仕事を依頼した。
サイモンは2年前、イエスの十字架の切れ端だと信じられていた木を、ただの流木だと鑑定し、信者を傷つけたとルークと一悶着おこしていた。
だが、過去の確執にこだわっている場合ではなく、あまりにも 衝撃的なこの遺跡の研究にすぐさま取りかかるサイモン。
その日はひどい土砂降りだった。 幼い息子、マイケルを後部座席に乗せて運転してたマリオン(サイモンの妻)は、若い女性を轢いてしまう!
だが担ぎ込まれた病院で、彼女はかすり傷程度で、入院の必要もない、と診断される。 頭を打ったせいで、軽い記憶喪失になっている彼女を、マリオンはせめてもの償いに、と豪奢な自宅に住まわせることにした。
彼女のパスポートによると、アメリカ人旅行客のようだ。 名前はキャシー。 すぐに体は回復した彼女は、まだ幼いエマとマイケル姉弟の世話をし、2人にもなつかれ、忙しい夫妻も安心してキャシーに子供たちを預けていた。
子供たちを学校に送ったり、散歩をしたり、小さな町をゆったりと 歩くキャシーは、不審な人々が自分をじっと見つめていることに 気づく。若者から老人まで・・・彼らは何も喋らない。 彼女にひたひたと近づき、凝視するのみだ。
それだけではなく、夜には悪夢にうなされるようになる。 昼間も、血まみれになっている人を見かけるように。 予知能力なのか・・・?
やがて彼女は気づく。マイケルも自分と同じものが見えることに。 そして、ついに、マイケルの死に顔も見えてしまう!!
父親は多忙で不在がち、生みの母は4歳のときに亡くしている。 それ以来、誰にも心を開かず喋らないマイケルが、キャシーだけに、全身で助けてと訴えているのだ。
絶対にこの子を守ってみせる、と誓うキャシー。
そんなキャシーに力をかしてくれるダンという青年が現れる。 心細さもあり、優しい彼にすがるキャシー。
調べてゆくうちに、サイモンが買ったあの屋敷の忌まわしい過去、 そしてその事件の被害者がまだこの町にいることを知る・・・。 その男は、傷つけられた自分を葬るために、あの屋敷に住むマイケルを殺して過去を清算しようとしている。
遺跡の調査も進んでいた。 磔のイエスを見つめる石像群の正体が判明する。
教会側にとっては実は驚くべき新発見ではなかった。 忌むべきもの、それはギャザリング。未来永劫、この世の地獄を見つめ続けるという罰を科された傍観者たちの姿であった。
やはり封印すべきであろう、と教会は決断を下す。 だが、解き放たれたギャザリングの呪われた力は、この町が 血に染まるのを見ようと動き出す・・・!!!
キャシーは哀れなマイケルを救えるのだろうか・・・!
雰囲気としては、「ダークネス」に近い! 古い建物、子供の悲鳴、生気なく立ちつくす人々に凝視される。 暗闇も悪魔も悪魔崇拝者も出てこないのだが、 キリスト教にまつわる呪いという性格上、バリバリのオカルトだ。
「サイン」でもトウモロコシ畑が怖かった。背が高いから・・・。 本作も、真っ昼間だというのに、あのトウモロコシ畑の怖いこと怖いこと。
ゾンビと違って、何かされるわけではないのだが、ギャザリングは 死神も同然だ。彼らが死を呼ぶわけではないが、死が彼らを集める(ギャザー)。
何もしないほうが怖いっていうの、「シャイニング」の双子の女の子もそうだった。 まだ追っかけられたほうがマシだ〜〜〜!
スラッシャー(殺人鬼)映画の怖さには慣れきってしまい 内臓が出ようが血が噴き出そうが「よく作ったなぁw」という しょうもない愉しみ方をしてしまう私だが、 オカルトはやっぱり怖い。
キリスト教では、傍観は大罪だ。 「“彼ら”は見に来たり 主への敬意ではなく ただ快楽のために」
事故現場や事件現場に集まる野次馬を見るにつけ、何が面白くて見ているんだろう、と不快さを感じていたが、人間の呪われた本能なのか・・・・。
あれですな。 ギャザリング、っていうと怖いんですが、 「野次馬」って邦題だったらどーでしょ〜? コメディっぽいですね。タイトルの力は偉大だ(笑) 要するにイエスの処刑を見に来た野次馬ですからねぃ。
公式サイトに、南京大虐殺と事実ではないものを載せていることにはツっこみたくなったが。
ちょっと気になるのは、原爆投下と、ケネディ暗殺を同じレベルの「人類の惨事」と並べられることには不快感と疑問を感じる。 ルーク司祭の事故死にいたっては、ギャザリングが遺跡を埋められたくないから意図的に起こしたようにすら見えてしまう。 3人いましたもんね。
あとですね、惨事の起こるところには国も時代も関係なく必ずギャザリングが現れるのなら、遺跡の発見と、復讐魔の関連はどうなるのでしょうか。
遺跡が発見されなかったら、彼は復讐を実行しなかったのでしょうか?私は、遺跡が日の元に晒されたことにより、惨事を引き起こすスイッチが入った、ととりましたが・・・・。
ギャザリングは不老不死で、不死身の肉体がある設定なのだけど、 それなら幽霊のように突然消えるのは奇妙。
その時代時代に合わせて普通に人生を送りながらギャザリングしている若いギャザリングと(喋る)、老人のギャザリングとの差も 不自然。 イエスの処刑を見ていた人数は決まっており、あの設定だと十数人というところでしょう。 石像の数ですもんね。
ちょっと、そのへんモヤっとするな〜。
とまぁ、細かいことを言い出すと気になってしょうがないんですが、ツっこんでばかりいて、本質を見失うのはつまらないね。
クリスティーナ・リッチの演技は見事でした。 ラスト、神々しく輝く笑顔と、それまでの蒼白な表情の違い。 メークさんの実力だけではこうはいかない。
不幸な霊感少年は可愛くなければダメです。(例:「シックス・センス」のハーレイ君) 本作のハリー・フォレスターくんもとても愛くるしい。
他人の無惨な死に様を見たい呪われた傍観者、というテーマを、ホラー映画でやっちゃうことのアイロニー(笑) この映画の観客も、ギャザリング、ってことですな。
表面的な皮肉だけではなくてね、「残忍なものを好む人間の業」「見て見ぬふりをする人間の弱さ」を思いっきり全面に押し出した 意欲作だと思いますよ。
「15ミニッツ」の殺人中継を、食い入るように食事中の人たちが見入るシーン、思い出しますね。顔を覆ってる人はいなかった。
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