2004年11月25日(木) |
「幸せになるためのイタリア語講座」ドグマ95初の女性監督作品。毎日大変で生き方も不器用な可愛いオトナたちの恋模様。 |
『幸せになるためのイタリア語講座』【ITALIENSK FOR BEGYNDERE(初心者のためのイタリア語)】2000年・デンマーク ★2001年ベルリン国際映画祭 審査員賞
監督・脚本:ロネ・シェルフィグ 撮影:ヨルゲン・ヨハンソン 俳優:アンダース・W・ベアテルセン(牧師アンドレアス) ピーター・ガンツェラー(ホテルマン、 ヨーゲン) ラース・コールンド(レストラン店長、ハル・フィン) アン・エレオノーラ・ヨーゲンセン(美容師、カーレン) アネッテ・ストゥーヴェルベック(パン屋、オリンピア) サラ・インドリオ・イェンセン(ウェイトレス、ジュリア)
デンマーク、コペンハーゲン近郊の小さな町、冬。クリスマスも近い。
◆アンドレアス◆ 教会に、オルガン奏者に乱暴して謹慎処分になった(本当は信仰を棄てたため)ベテラン牧師の代理として、まだ若い牧師アンドレアスがこの町にやってきた。 期限がはっきりしない仮滞在のため、当面、ホテル住まいとなったアンドレアス。 たどたどしい説教や手際の悪さにも、教会のボランティアの中年女性は寛容だ。
◆ヨーゲンとジュリア◆ アンドレアスが滞在するホテル。 中年のホテルマン、ヨーゲンは勤勉で誠実。 今、深刻に悩んでいるのは、4年間インポなこと・・・。 アンドレアスに苦悩を相談しながら、 イタリア語を習っているんですよ、とはにかむ。
実は、ヨーゲンがイタリア語を習う理由は、恋する女性がイタリア人だから。 ホテル内のレストランのウェイトレス、ジュリアはデンマーク語は ほとんど話せないのだ。
そのジュリアは情熱的なイタリア女性の風貌とは裏腹に、夢見る 乙女。熱心なカトリックで、いつも聖母マリア様に恋の成就を 祈っている処女だ。 彼女が想いを寄せるのは、ヨーゲンなのだが、この2人、互いの気持ちに気づいていない。 その上、ヨーゲンは極端にシャイ、ジュリアは好きな人の前に出ると、気持ちと反対のコトを言ってしまう恋のビギナーだった。
◆ハル・フィン◆ ジュリアの働くホテル内レストランの雇われ店長、ハル・フィンは、元サッカー選手。イタリア語はペラペラで、いつもジュリアに仕事ぶりに難癖つけては大喧嘩。
ハルはなにせ態度が悪いの何の。 客を罵倒する、ココアをぶっかける、注文は無視する・・・。 ホテルの支配人は、クビにしろとヨーゲンにしつこく言うが、 ハルはヨーゲンの親友だ。・・・言い出せないよ・・・。
せめて、髪を整えたらどうかな?ボサボサ長髪でレストランには不向きなハルに、遠回しにヨーゲンが勧める。
◆カーレン◆ 仕方なく美容室に向かったハル。 3つしか椅子のない小さな、でもこぎれいな美容室。 もう若いとは言い難いカーレンが1人できりもりしている。 カーレンに髪を洗ってもらうハルは恍惚としている。 初対面なのに、どこか心触れあう2人・・・。
だがその甘い雰囲気をブチやぶったのは、病院を脱走してきた カーレンの老母。ガンとアル中で心身ともにボロボロの老母の 介護で、カーレンに青春はなかった・・。でも、どれだけ母に罵倒されても、母を愛している。それが親子というものだ。
◆オリンピア◆ ハルが菓子パンを買いに通うパン屋で働くオリンピアは、自宅で 老いた父を介護している。まだうら若き彼女にも、青春はない。 仕事が終わると、娘に毒舌を吐きまくる孤独な父の世話をせねばならない・・・。 オリンピアの母は、彼女が赤ん坊のときに家を棄てイタリアに去ったと父は言う。イタリア人でオペラ歌手だとか・・?
オリンピアは、このぐるぐるな毎日を変えたかった。 字もヘタっぴ、フォークもちゃんと使えない、ドジばっかで 42回も転職しているダメ子ちゃん。自分でわかってるのだ。 変えたい、変わりたい。
市役所で週に一回、夜にやっている初心者向けのイタリア語講座に 入ってみようかと思う。
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イタリア語教室は、今7人。 中年の仲良しご婦人3人組と、ヨーゲン、ハル・フィン、アンドレアス、オリンピア。
今夜もイタリア旅行を想定したレッスンが進むが、講師が心臓発作で倒れてしまい、一命は取り留めたがもうレッスンは無理だという。
後任は、ネイティブ並に話せるハル・フィンに決まった。 彼に会いたくて、カーレンも参加。2人は熱烈な恋に落ちた。
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もう一組、不器用な2人がいる。 アンドレアスに恋こがれるけど、おどおどするだけのぶきっちょオリンピア。 妻を失った哀しみから立ち直ろうとしながら、オリンピアの想いに 気づき、心揺れだしているアンドレアス・・・。
みんな、懸命に毎日を生きてる。 一喜一憂したり、泣いたり怒ったり、困ったり、頑張ったり。 結構いいトシをして、生き方も恋にも不器用なオトナたちが、 みんな揃って笑える日は来るのでしょうか。
ドグマ95作品ですけど、ほとんど手持ちカメラの揺れは気になりません。最初の数分だけ、ちょっとグラっとしますが。 オールロケ、自然光、BGMなし、など、2年後のやはり女性監督作品、「しあわせな孤独」よりも正当派ドグマらしくありながら、女性監督らしい視点が、今までにないドグマ作品に仕上げています。
ドグマっていうと、どうしてもラース・フォン・トリアーが提唱しただけあって、リアリティの追求ゆえに、人間の醜さ愚かさを これでもかとえぐり出す暗い作品が多い。
でもこの作品は、映画が始まる瞬間の「ドグマ認定作品」の お約束の看板をうっかり見逃せば、ドグマだと気づかないかも しれないですよ。
ドグマが発祥した頃よりも、デジタルカメラの性能がグっと 上がったのも勝因の1つでしょう。手ブレ対応、高画質。 かつてのドグマのような、ザラザラの粗い画面ではありません。
ドグマ95を敬遠している方にも、安心してオススメできる作品です。酔いませんよ。
登場人物がイタリア語講座に顔を出す理由は皆、さまざま。 純粋に勉強したいからという人もいれば、義理でとりあえず顔を出してみたら仲間と気があって、という人も。 好きな人に逢える口実になるから、という人もいるし、自分のアイデンティティーを求めて顔も覚えていない母の母国語を知りたい人も。イタリア人に恋をしちゃったからという人も・・・。
恋も友情も、人生の方向転換も、きっかけなんてなんだっていい。 彼らはとんでもなく不器用だけど、みんな前を向いてる。
それでいて、全然、がむしゃらじゃない。おいおい、もうちょっと焦れよ、と苦笑してしまうほど、明日があるさぁ、と構えている。
明日のことが考えられないほど追いつめられてしまったとき、 あなたのぐしゃぐしゃの鼻水を拭くティッシュをくれて、珈琲を入れてくれるひとがいたなら、なんてステキな人生でしょう。
なんかもう、懸命に伝えたくて心の底から話しかけたときに、言葉はあまり通じていなくても、ハートが伝わって、あなたの手をキュっと握って微笑んでくれるひとがいたなら、なんてステキな人生でしょう。
親が遺産のひとつも残さず逝ってしまったとタメ息をつくときに、 あなたを遺してくれたじゃない、といってくれるきょうだいがいたなら、なんてステキな人生でしょう。
ケンカして、仲直りするきっかけが掴めなくて心が痛いとき、髪に触れて、見つめ合って微笑んだら“ホントにごめんね”って通じ合うひとがいたなら、なんてステキな人生でしょう。
素直になること。 それが幸せになるためのファースト・ステップだって、この物語は教えてくれる。
新しい言葉を習うとき、年齢に関係なく、赤ちゃんみたいになる。 耳で聞いて、そのまま口に出してみる。 反骨精神バリバリじゃできないコトである。
新しいコトバを習おうと初心者クラスに集まった人たちは、 社会的地位や収入や年齢が違っても、おんなじ一年生。 間違えても、恥ずかしくないよ、誰も笑わないよ。
人生、思い立ったが吉日、いつでも新しい一歩を踏み出すことができるんだと、スクリーンの中の彼らの笑顔が励ましてくれる。
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