お茶の間 de 映画
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2004年11月09日(火) 「しあわせな孤独」ドグマ95だけど異色ってか異端?順調なはずの人生が一瞬で狂ったら。人は脆くて哀しくて、でも逞しくて。

『しあわせな孤独』【ELSKER DIG FOR EVIGT/OPEN HEARTS(米題)2002年・デンマーク
★2003年デンマーク・アカデミー賞 最優秀作品賞・最優秀助演男優賞・最優秀助演女優賞
★2002年トロント国際映画祭 国際批評家連盟賞

監督・原案:スザンネ・ビエール
脚本:アナス・トーマス・イェンセン 
音楽:イェスパー・ヴィンゲ・レイスネール
 
俳優:ソニア・リクター(ヨアヒムの婚約者、セシリ)
マッツ・ミケルセン(マリーの夫、医師ニルス)
ニコライ・リー・カース(事故の被害者、ヨアヒム)
パプリカ・スティーン(ニルスの妻、事故の加害者、マリー)
スティーネ・ビェルレガード(ニルス、マリー夫妻の長女、スティーネ)

ストーリー用ライン



セシリは23歳のシェフ。ヨアヒムは地質学専攻の大学院生で、
もうじき博士課程がとれる。そしたら結婚するのだ。
ちょっと趣味の悪い婚約指輪も、ヨアヒムのユーモア溢れるお茶目な性格も、何もかも、愛すべき存在。
セシリとヨアヒムはとても幸福だった。

ある日、その幸福は一瞬で崩壊した。1秒前にはキスしてたのに。
鈍い衝撃音と、地面を赤く染める鮮血で・・・・・。

ヨアヒムはからくも一命を取り留めたが、首から下が麻痺。
回復の見込みはない。

話すことだけはできるヨアヒムは、愛するセシリに、医師に、看護婦に、怒鳴り散らし、当たり散らし、毒舌を吐く。
そうでなければ石のように押し黙ったまま。

憐れみは不愉快だと、別れを切り出すヨアヒム・・・。

セシリの胸は悲しみで押し潰れそう・・・。

一方、彼をこんな目に遭わせてしまった加害者側も、苦しんでいた。
ヨアヒムが入院している病院の別の科の医師、ニルスの妻、マリーが、車の中で、娘との口論に苛立って起こした事故だった。
思春期のスティーネはふさぎ込んで荒れ始める。
マリーは自分を責め、苦しむ。

ニルスはいてもたってもいられず、病院の待合室で放心状態の
セシリに、自分の連絡先を告げ、心から謝罪する。

セシリは、昼といわず夜といわず、ニルスの携帯に電話をかけて
泣くのだった。
マリーも、気の毒だから傍にいて話をきいてあげてと、夜中の電話にも怒らなかった。

申し訳なさと同情が、若く美しいセシリへの恋慕へと形をかえるのにはさして時間がかからなかった・・・。
家庭はやんちゃ盛りの男の子2人と思春期の娘の反抗期で落ち着かない。逃げ場がほしかった・・・。

セシリも、尽くしても罵詈雑言を浴びせられる日々に疲れ果て、
不能となったヨアヒムに二度と抱かれない切なさから、
魅力的なニルスにのめり込んでゆく・・・。
寂しさを埋めるだけのつもりだったけれど、坂道を転げ落ちるように恋に溺れた。

ヨアヒムは、あいかわらず病院で年配の看護婦に辛く当たり、
まだ現実を受け入れられないでいた・・・・・・。


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コメント用ライン


あれれ、ドグマ95認定作品(#28)なのに、BGMともとれる音楽が入っているし、えらく画質がよく揺れない。手持ちなのはわずかな揺れでわかるが。
デジタルカメラならではの機能だが、フィルムに特殊効果を
入れている。
小道具も調達している。オールロケなのはドグマ方式だけど。
ドグマ95の十戒をすべて守ってはいないけれど、この作品なら、
ドグマアレルギーの人でも安心して観られるだろう。
酔いません。

ドグマ形式で撮影されたシーン(突然、画像が暗く粗くなる)は、
“そうだったらいいのに・・・”という主にセシリの心の中の
映像だ。動けないヨアヒムが彼女を見つめて手をさしのべるシーンなど。
幻のほうを、ドキュメンタリー画質で撮るという試みは興味深い。

交通事故の加害者と被害者の苦悩、ときいて、ショーン・ペン監督の「クロッシング・ガード」のような復讐の展開になるのかと思ったのだが、セシリがニルスを虜にして家庭を崩壊させたのは、復讐ではなかった。

やっぱりハリウッドの映画とはもっていきかたが違うな・・・。
欧州ならではの、完成した自己責任、個人主義が漂う。
それと、テーマは違うのだけど、事故の加害者と被害者が
同じ線上の人生を歩む上でどうするのか、というところでは、
「息子のまなざし」とも関連性がある。


日本人には、納得のゆかない展開も多いかもしれない。
過失致傷罪にもならず、ヨアヒムのほうが悪いという警察。明らかに前を見ていなかったのはマリーなのに。

無論、浮かれて突然飛び出した彼にも落ち度はあったのだが、
前を見ていれば違ったはず。
でも、事故の責任については映画ではほとんど語られない。
でもそれでいいのだ。
この映画のテーマは、過去の出来事が「誰のせいか」ではなく、
これから「どうするか」。

実際には、傷害保険に入っていても、一生働けないヨアヒムに
支払う損害賠償と慰謝料だけで破産しかねない。
デンマークの保険事情はわからないので何ともいえないが、日本
なら、一生、加害者は借金地獄だろう。

なのに、
人を殺しかけたその日に、現場に居合わせた娘の誕生日祝いを
豪華なディナーで友人、親戚一家と祝っている。
この感覚は日本人には???ではあった。不謹慎という感覚が抜けているのか、それは日本的な感覚なのか・・・。

でも、ドグマらしい部分、「作為的なものを排除せよ」は
この作品の主幹だ。
偽善なし、奇跡なし、美談なし。
人間の醜さを自然光で撮るのがドグマなら、これもそうだ。

指1本動かすことのできなくなった若い男が、愛想よく振る舞えるか?下着姿の恋人に感覚のない体に泣きながらのしかかられて、
出て行け!と叫ぶほかにどんな言葉が?
殴ることも手足をバタつかせて枕を壁に投げることもできない、
その想像を絶するやり場のないマグマのような怒りと悲しみを、
あなたは責められますか?当たられた周囲のつらさもまた、
やりきれないし、ヨアヒムの痛みも「どうしていいかわからない」

はじめ、ヨアヒムは、まだ若い彼女に新しい人生を歩ませたくて
わざとつらくあたり、別れを切り出したのかと思った。
だが、違う。そこも日本のドラマなら「そのほうが君のためだ」
なんか言いそうだが。

もう抱いて快楽も幸福も与えてやれない女に、憐憫のまなざしをむけられ、一方的に何か「してもらう」ことしかできなくなった男の自尊心が傷つくからだ。

人生が足下から崩れ落ちるほどの事件に遭遇したとき、
人はすぐに対策と練り、冷静に解決してゆけるか?
それができるのは、とてもとても強靱な精神をもった人だけだ。

9.11のショックは、アメリカだけではない。
世界中に、特に欧米をどれほど震撼させたことか。
1秒前まで笑ってた、今夜も帰ってくるはずだった。

他人事じゃない。

人生に正解も近道もない。
彼らは、みな、間違った。悪かったのではなく、間違った。

孤独を肌で埋め合うことを「幸せ」だと錯覚した。
怒り、が最後の「人間らしさの砦」とばかり毒づく男もいた。
責められるのが怖くて自分の過ちを夫に謝罪してもらった妻がいた。
妻を、表面的に守ろう、自分が矢面に立とうとカッコをつけ、
結果的に妻子を深く傷つけた夫がいた。

彼らは悪いか?弱かったのは罪か?いいや、人間は脆く弱い。
後から、こうすればよかった、なんて誰にだって簡単に言える。

このリアリズムから目を背けてはいけない。

だが、ラストに向けて、大きな解決はなくとも、
「このままではダメだ」と全員が動き出そうとし始める。

独りになることで、自尊心を取り戻し始めた男がいる。
独りになることで、静かに過ちを精算しようとする男がいる。
独りになることで、AでもBでもない、新しい人生を探そうとする女がいる。
独りになることで、精神的に自立し、自分の頭でものを考えられる逞しさを得た女がいる。

独りは孤独だ。
でも、孤独は永遠に続くメビウスの輪ではない。
今、孤独なら、やがて、孤独でないという幸せを噛みしめることが
できる日が、遅かれ早かれ、訪れるということだ。

無傷なものは、傷つくことを恐れなければならない。
でも、傷ついたものは、癒える喜びを、同時に内包しているのだ。


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