2004年10月10日(日) |
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」最初の“ゾンビ映画”。ロメロは悪鬼を描きつつ、人間の醜悪さと恐ろしさを暴く。 |
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/ゾンビの誕生』1968年・米 『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 最終版』1999年・米 【NIGHT OF THE LIVING DEAD(不死者たちの夜)】 原案・監督・撮影:ジョージ・A・ロメロ 脚本: ジョン・A・ルッソ 特殊メイク効果:ヴィンセント・J・ガスティーニ 出演:デュアン・ジョーンズ(ベン) ジュディス・オディア(バーバラ) カール・ハードマン(ハリー) マリリン・イーストマン(ヘレン) キース・ウェイン(トム) ジュディス・リドリー(ジュディ) チャールズ・クレイグ(ニュースキャスター) カイラ・ション(カレン)
(最終版はここから) 少女をレイプし殺害した凶悪犯の処刑が行われ、被害者の家族の たっての望みにより、死体処理役の若い男2人は墓場に犯人の遺体を運び、死に顔を見せた。 家族が去ったあと棺桶を閉じようとすると、遺体が生き返ってしまった!慌てて逃げ出す若者たち。
棺桶からのっそりとぎこちなく起きあがった死人は、ゆっくりと墓場を徘徊しはじめる・・・。
(ここからオリジナルの68年版) 日曜日の夜。だが夏時間のため、外は8時を過ぎても昼間のよう。 遠方から親の墓参りにやってきた兄妹が車に戻ろうとすると、 墓場をフラフラと彷徨く生ける死者に襲われてしまう! 兄は格闘の末墓石に頭をぶつけて死亡。 妹、バーバラは必死で駆け回り、一軒家を見つけ駆け込んだ。
2階には惨殺死体が・・・!
今夜はその家で、バーバラ、頼もしそうな黒人青年ベン、地下室で不死者に噛まれた幼い娘の看病をしていた夫婦、若いカップルの7人で籠城し、いつの間にか増え続け家に押し寄せる生ける死者たちと闘うことになる・・・。
TVでは、放射能の影響と思われるが明確な原因は不明、全米規模で大量の生ける死者が家々を襲撃し、人肉を食らう事件が続発している、と警戒を促す放送が繰り返されている・・・・・。
やがて、生ける死者に噛まれたり殺されるとその人間も同類となってしまうこと、火を怖がること、体はいくら傷つけても何度でも起きあがってくるが、脳を破壊すれば無害だということがわかる。
家に閉じこめられた彼らは、地下に避難するか、外に脱出するかで意見が激しく対立する。 何かをリーダーシップをとろうとするベンが気に入らない夫妻。 バーバラは放心状態。 幼い娘は地下室で虫の息・・・。
一か八かの脱出作戦も失敗に終わり、再び籠城した彼らの精神状態は限界にきていた。 押し寄せる死者たちの群で家は今にも崩れそうにきしむ。 窓が破れ、無数の死者たちの手が・・・!!
その頃、全米で警察や軍隊も動き出していた。 地道に1体1体、頭を狙って射殺するのだ。猟銃会の強力も得、 次第に騒ぎは鎮火してゆくのだが、 森の奥にポツリと建つこの家に救助の手はまだ来ない。
果たして彼らは生き残り朝日を仰ぐことができるのだろうか・・・。
(最終版には、ラストに数分、以下の付け足しがある) 事件からだいぶ経過したある日、新聞記者が司祭の元を訪れる。 この司祭だけは、死者に噛まれたにも拘わらず、奇跡的に回復したのだ。熱心な信者に聖水で看病してもらったおかげだといい、 これこそ神の威光であると高らかに宣言するのであった。
(このDVDには、新旧両方が収録されています)
ジョージ・A・ロメロのこの映画は、いわゆる今、“ゾンビ”と 呼ばれるようになったものに、定義(ルール)を与えたという意味で、映画史に残る貴重な作品だ。
その定義(ルール)とは、死者が何らかの原因により甦り意志(人肉を食らうためだけに動く)を持って動き、会話はできず、火を恐れる。 噛まれたり食われたり傷をつけられた者は、一定の時間をおいて、 やがて同類となる。 肉体を撃っても切っても倒れるだけで何度でも起きあがるが、 脳を破壊すれば二度と復活しない。
まぁ、吸血鬼の倒し方(吸血鬼は心臓を破壊するのが基本、銀と日光に弱い等々)からヒントを得ていると思うのだが、 シンプルなので、ロメロ以降のゾンビ映画でも、このルールは だいたい暗黙の了解事項として受け継がれていっている。
もちろん、68年のロメロ以前にも、動く死体を扱ったホラーはある。調べたかぎりでは、あの素敵なベラ・ルゴシが主演の『ホワイト・ゾンビ』(1932年)がたぶん初めて。
ただし、ロメロ以前のゾンビは、ブードゥー教の魔術によって操られる死体であり、現代人が“ゾンビ”と聞いて想像するクリーチャーとは明らかに違う。
でも、このロメロ作品でもまだ「zombi(ゾンビ)」という英単語は登場してこない。 zombiはブードゥー教の産物である。 映画では、リビングデッド(生ける屍)、グール(ghoul、悪鬼)と表現されている。
ロメロの本作(オリジナル、68年版)は、その後しょっちゅう 手を入れられ、モノクロに色をつけてみたり、脚本を一部いじったり(1990年の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド/死霊創世紀」はトム・サヴィーニがリメイク)、デジタル・リマスターしたり、音響や音楽を入れ替えたり、もうイロイロあって、 (着色版は音楽がちょっと好みだったけど) 30周年の記念に、ディレクターズ・カット版として最終版を 出したが、これ、ロメロは関わっていないので、ディレクターズ・カットとは言えないのじゃないか???
「最終版」はリマスターした部分とオリジナルの部分が不自然に 融合しているとか、その音楽はどうしましたか、とかいう、技術的な難点もあるのだが、主題が、ロメロの描きたかったところからズレてしまって、キリスト教万歳映画な終わり方になってしまっている。 神を出してきてしまったのは失敗だろう。
この「ナイト・オブ・リビングデッド」を一度は観てみたいと 思われる方は、このオリジナル(68年版)をご覧になることを 強くオススメする。 その他のバージョンと見比べるのは面白いと思うが、とにかく、 オリジナルを観ずに、この作品をこういうものか、と思っては もったいないし、ロメロにも、ロメロのファンにも気の毒。
ロメロ以降のゾンビ映画は、いかに恐ろしいゾンビを考え出すかに腐心し、映像技術やアクションに製作者の熱意が移行してゆく。
だが、本作は、確かにゾンビは出てくるし怖いのだが、 悪鬼に襲撃され籠城するはめになった、というシチュエーションムービーであり、要するに、主役は人間なのだ。 それは、ロメロの『ゾンビ』でも変わっていない。これもいい作品なので、そのうちご紹介したい。
極限状態で人間は「意志を持って悪知恵を用い」自分だけ生き延びようと目が血走る。 その企ては、欲を捨てた善意ある、あるいはただのか弱き人間をも巻き込みかねない。
話し合いは不可能だが、言葉と知能を持たないぶん、飢えきった狂犬と変わりのないゾンビ(※しかもロメロのゾンビは、一度死んでいるため筋肉が硬直しており、スムーズにも速くも動けない。 一体一体は実に弱いのだ)と、銃を振り回し疑心暗鬼で動き回る人間と、さて、どっちが本当に怖いのだろうか。
答は明確である。 あのラストシーンの衝撃は素晴らしい。
ホラー映画の結末は2通り。(続編を期待させるものは別) ロメロ路線の「一切の救いを否定し、映画が終わった後にまで 恐怖を残す」。これはオカルトに多い。(当然のことで、悪魔が滅びたら神も滅びるから) ダリオ・アルジェント路線の「勧善懲悪。想像を絶するような凄惨な映像がなんぼ続いても、最後には主人公だけは助かる」。
68年。まだ黒人差別がまかり通り、女性はか弱かった。 映画は時代を映す鏡だ。
ゆら〜〜りのそ〜〜りと硬直した体で蠢く屍をモノクロで観ると、 カラフルでグロテスクで動きが速い(そのせいで逆によく姿がわからなくありませんか?)現代のゾンビより、弱いとわかっていても ずっと怖い。
そして、ゾンビの頭を撃ち抜いて狩りをエンジョイする人々も、 助けの神には見えない。笑顔でナイスショット!と人体(死んでるけど)を夢中で射殺しまくる彼らのほうに、ゾっとしたのだった。
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