2004年09月29日(水) |
「セイ・エニシング」 とても丁寧で品のよい青春映画。“何でも話して” 大切な人には。そして受け入れて。 |
セイ・エニシング【SAY ANYTHING】1989年・米 監督・脚本:キャメロン・クロウ 撮影:ラズロ・コヴァックス 音楽:リチャード・ギブス/アン・ダッドリー 俳優:ジョン・キューザック(ロイド) アイオン・スカイ(ダイアン) ジョン・マホーニー(ダイアンのパパ、コート氏) リリ・テイラー(ロイドの親友、コリー) エイミー・ブルックス(ロイドの親友、D.C.) ジョーン・キューザック(ロイドの姉、コンスタンス) ローレン・ディーン(コリーの元恋人、ジョー)
高校の卒業式を目前に控えたロイドは、勉強の成績は今ひとつだが、その人柄の良さゆえに、いい友人たちに囲まれ、担任にも信頼されていた。進学を決めないことで担任を心配させてもいたが・・・。
彼には夢があった。キック・ボクシングに夢中な彼は、その道で 身を立てたいと真剣に考えていた。 現在は、子供たちに道場で教えて収入を得ている。 シングルマザーで頑張る姉のコンスタンスと、姉の幼い息子と3人で暮らす日々・・・。
そんなロイドはいい人すぎて男として見られないのか、モテたためしがない。親友と呼べる女友達なら何人もいるけれど。
ロイドは目下、卒業生代表という優等生の箱入り娘、ダイアンに くびったけだ。 親友のコリーたちに、ダイアンに告白する!と宣言し、呆れられる のだった。
口から心臓が飛び出しそうな思いで電話すると、ダイアンは意外にもあっさりと卒業パーティに同行することをOKしてくれた!
ダイアンは、老人ホームを経営する裕福で温厚な父に、男手ひとつで蝶よ花よと大切に育てられたお嬢様。 優秀な彼女は、英国の一流大学への留学が決まっていた。 才色兼備の彼女は、だが孤独だった。近寄りがたいと皆が避けてしまうからだった。 でも、ロイドに連れ出されたパーティで、ダイアンは皆と打ち解け、楽しい時間を過ごす。 ダイアンは気だてのよい娘で、少しもお高くとまったところがなく、父の老人ホームでお年寄りの介護を熱心に手伝う優しい娘なのだ。
パーティで、皆に慕われ邪気のない笑顔を見せるロイドに、ダイアンも心惹かれてゆくのだった・・・。
ゆっくりと、ゆっくりと、2人の距離は縮まり、愛が深まってゆく。
だが、自慢の1人娘が、好青年なのは認めるにしても、進学予定もなく、家柄がよいわけでもない貧しい青年に心奪われてゆくことに、不安と不満を隠せないダイアンの父・・・・。
ダイアンも父の期待に応えるべきだろうかと苦悩する。 少し・・・ロイドから距離をおいてみようとするダイアン。 そんな煮え切らない彼女に苛立ち、やりきれなさに荒れるロイド。
悩むダイアンに、追い打ちをかけるような事件が。 根っからの善人だと信じきっていた父に、耳を疑うような嫌疑が かかったのだ。 父を信じたい一心で国税庁を訪れるダイアンだが・・・・。
ジョン・キューザックのファンにはたまらない作品。 ラブコメは苦手だが、この作品はコミカルなシーンはあっても、 コメディではない。 ものすごく真剣に、大人への道を、自己の確立を模索する若者2人と、娘を溺愛するあまりに人の倫をふみあやまってしまう哀しい親心を、とても丁寧な筆致で描いている。
キャメロン・クロウ監督も、まだ若かった。 でも、その青さが良いほうに影響しているようにも思うのだ。
丁寧すぎるほど丁寧な感情の描き方。 セリフ以上の演技ができる俳優、ジョン・キューザックとジョン・マホーニーの演技力に頼り切った感はあるものの、本来、脚本はそのくらいがいい。
この映画を、ありきたりな安っぽい青春ラブストーリーに堕とさなかったのは、ヒロインのアイオン・スカイの持つ雰囲気によるところが大きいように思う。
理知的で気だてのよい世間知らずのお嬢さんというのは、服装や髪型だけでは絶対に表現できない。 知的な瞳にあどけなさの残るふっくらとした頬。 スポーツやビーチに無縁の勉強漬けの高校時代を過ごしたのが一目でわかる、色白のふっくらとしたぽっちゃり気味のスタイル。
アイオンは演技力や表現力にやや欠けるが、この映画ではそれを要求されるのは男性陣2人なので、バランスとしてはよかったように思うのだ。
誰しも、愛する男か父親か選ばねばならないときが、娘には来る。 誰しも、愛する女か自分の将来かを選ばねばならないときが、青年には来る。
その選択が不要であったり、悩みの深い浅いは個人差があっても、 かなり普遍的なテーマじゃないだろうか。
あれほどの才女で、初体験の感想を、小論文の口述試験のように 父親に理路整然と述べるシーンには苦笑。 でも、コトバでは表現できても、行動できない頭でっかちのダイアン。
逆に、コトバが足りないけれど、ひたすら行動で愛を示そうとする ロイド。マヌケでも、ラジカセをアタマの上に掲げてラブソングを なんとか聴いてもらおうと立ちつくすロイド。
父は娘に“Say Anything.”そう言いながら娘の告白にショックを受ける。 娘も父に“Say Anything.”そう言いながら、自分の耳を信じたくない。
このタイトルは、原題、邦題ともにいい。 「どんなことでもすべて話して」 話させたら、受け入れねばならないのだ。 互いに受容できなかった親子の間にできた痛々しいクレバス。
それを埋めようと手を差し伸べるのは、相手のすべてを 受け入れること、そして許すことが愛だと知っている青年だった。
初めてのデートに誘う電話。 初めてのキス。 初めてのセックス。
今、青春まっさかりの若い皆さんにはもちろん、 ドラッグや犯罪の出てこない純粋で甘酸っぱい青春映画を懐かしみたい、かつて若かった皆さんにも、是非オススメしたい映画だ。
脇役陣もとてもオイシイ。 今やすっかり、“変人役なら任せて”なキワモノ女優街道まっしぐらのリリ・テイラー、この頃からすでにもう半壊。 中島みゆきもびっくり状態で酔って弾き語るコリーに、そりゃ彼氏のジョー、逃げるわな、と気の毒ながら笑ってしまう。
そして、キューザック一家の中でもズバ抜けているジョン&ジョーン・キューザック姉弟を同じ画面内で観られるのも珍しい。
|