お茶の間 de 映画
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2004年08月18日(水) 「太陽の帝国」 設定の珍妙さには目をつぶる。反戦映画というカテゴリにおさまらない娯楽性が見事。

太陽の帝国【EMPIRE OF THE SUN】1987年・米
監督:スティーヴン・スピルバーグ
原作:J・G・バラード 
脚本:トム・ストッパード 
撮影:アレン・ダヴィオー 
音楽:ジョン・ウィリアムズ 
 
俳優:クリスチャン・ベール(ジェレミー、ジム)
  ジョン・マルコヴィッチ(アメリカ人、ベイシー)
  ミランダ・リチャードソン(収容所の隣人、ビクター夫人)
  ナイジェル・ヘイヴァース(ドクター)
  ジョー・パントリアーノ(アメリカ人、フランク)
  伊武雅刀(ナガタ軍曹)
  片岡孝太郎(日本人の少年兵)

ストーリー用ライン


1941年、中国、上海の英国人街。
織物業で成功したジェレミーの父は豪奢な屋敷を構え、美しい妻と
才気に溢れた8才の1人息子と幸福な日々を送っていた。
ジェレミーはここでうまれ育ち、本国イギリスの地を踏んだことはない。

ジェレミーは戦闘機マニアで、日本の零戦に憧れている。勇敢な
日本兵を尊敬し、いつか零戦のパイロットになる、といって両親を苦笑させる無邪気な子だった。

だが・・・いよいよ日本の上海侵攻が始まり大混乱に陥った街で、
ジェレミーは両親と生き別れになってしまう。
命からがら屋敷に戻っても、かつてこきつかっていた中国人の使用人には殴られる、金目のものは略奪される、食料はない・・・。

空腹に耐えきれず危険を承知で街に飛び出すと、アメリカ人の青年ベイシーとフランクに助けられる。
2人の青年は隠れ家にすまい、盗品の売買をしながら食いつないでいるのだった。
ベイシーに“ジム”とアメリカ風の名前をつけられ、中国人に売られそうになるが、貧弱な少年など誰も買わない。
棄てようとする2人に、ジムは必死で、英国人の居住区にはシャンデリアもピアノも酒もある、と案内しようとするが、灯りのついていた豪邸から出てきたのは日本兵。

3人はあえなく捕まり、捕虜収容所に送られてしまう・・・。

疫病のはびこる劣悪な収容所。タフなベイシーに、生水は飲まない、死人の靴や食料は奪う、など、生きのびる智恵を教わるジム。
次第に逞しくなってゆくジムは、環境のよい蘇州の収容所に移ることに成功する。

蘇州の収容所で4年がすぎ、1945年。ジムは12才になっていた。
イギリス人捕虜として労働しながら医師にラテン語を教わり、アメリカ人捕虜のリーダーであり、逃亡計画を練るベイシーのパシリをし、日本兵の機嫌もとり、タフに生き抜いてゆくジム。

終戦が近づき、日本軍は憔悴し、物資、食料は不足し、状況は
悪化の一路を辿る・・・・。

ジムはもう、両親の顔を思い出せなかった。母の髪が栗毛色だった
ことくらいしか・・・・。

ジムには、言葉をかわしたことはないけれど、日本の少年兵の友達がいた。いつも模型飛行機を持って基地内を走り回る彼と、国籍も立場も超えて絆がうまれていたが・・・・・・。


米軍の爆撃で収容所は壊滅。だが解放には結びつかず、移動を余儀なくされた弱り切った捕虜たちを疲弊させ死人を増やしただけだった。
生き延びねば。ジムは虚ろな瞳で食料を漁る。

ジムに未来はあるのだろうか・・・・。


太陽の帝国 <WHV101タイトル第2弾/期間限定生産>


コメント用ライン


クリスチャン・ベールの子役時代と、微妙に今よりフサフサで精悍なジョン・マルコビッチが観たくて、スピルバーグのシリアス路線は当たりはずれでかいんだよな、しかも日本軍が出てくるのか、と一抹の不安を感じながらも鑑賞。

特攻隊の基地でなんで少年兵が軍服も着ずに1人だけオモチャで
遊んでるのかとか、そもそもそんなとこに特攻隊はないだろうとか、日本刀で果物切るなとか、そんなことはもうどうでもいいや。
「ラスト サムライ」のときは大真面目に創っていただけに、
根本的なありえなさに苛立って感情移入できなかったのだが、
本作はテーマが非常に普遍的で、細部を無視してもよいと
思えてしまう強引さがあった。

もともと、J・G・バラードの自伝が元になっており、10才未満の頃の記憶、体験はリアルな思い出でも、視覚の記憶はかなり
アバウトなはずであり、そこに映画という創作性が介入すれば、
映像的にあやしい部分がたくさんあっても不思議ではない。

上流階級の御曹司だった主人公が、タフになり、次第に荒みながらも、ギリギリの人間らしさと動物的本能の間をスレスレにかすめて
成長してゆく過程がなかなか巧みな演出で語られていく。

ある時代を追った作品はどうしても、エピソードの積み上げに
なる。
ヘタすると脈絡なくなってしまうのだが、靴、模型飛行機、石鹸、
トランク、などの視覚的なキーワードをうまくつなげて、やや長めの150分強という物語を一定の緊張感を保ったまま進めることに成功しているように思う。

とにもかくにも、クリスチャン・ベールの圧倒的な演技力があってのこの映画。強烈なジョン・マルコビッチをも喰う凄まじさ。
育ちの良さ、無邪気さ、天真爛漫さ、ズル賢さ、逞しさ、そして狂気。
極限状態で揺れ動く思春期への入り口の時期を過ごした少年を
見事に演じきっている。

上海にまで届いた長崎の原爆の閃光。神が写真を撮ったフラッシュのようだと形容する。無神論者だというジムが生死の境で見た光。
戦争を終わらせてくれた原子爆弾。アメリカ人はいまだにそう思っている。

ジムや収容所で原爆のラジオを聞いた民間人は、当然「原子爆弾」は終戦を告げた有り難いものでしかないだろう。

被害の甚大さを“加害者側も戦慄する威力”と訥々と告げるラジオの放送が日本人にはしらじらしく空しく聞こえる・・・・。

親日家で知られるスピルバーグ監督が、かなり気を遣って描いたのはわかるのだが、やっぱり原爆への理解は浅い。

それでも、この映画のいわんとする、戦争はどんな大義があろうが
友達になれるはずの存在を憎みあい殺し合わねばならない存在に
してしまう哀しく愚かなものであり、人々から未来も、未来のことを考える希望すらも奪う憎むべき存在である、というごくごくシンプルな主張は、手をかえ品をかえ、やはり語り継いでゆかねばならない題材であろう。


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