お茶の間 de 映画
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2004年07月19日(月) 「悪魔を憐れむ歌」 悪霊が次々に憑依しながら善人な警部を弄び追いつめてゆく。薄気味の悪さと救いのなさは満点のオカルトホラー。

悪魔を憐れむ歌【FALLEN(堕天使)】1997年・米
監督:グレゴリー・ホブリット 
脚本:ニコラス・カザン 
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
音楽:タン・ドゥン 
主題歌:「Sympathy for the Devil」
挿入歌:「Time Is On My Side」
タイトルデザイン:カイル・クーパー 
 
俳優:デンゼル・ワシントン(ホブス警部)
  ジョン・グッドマン(ホブスの相棒、ジョーンジー)
  ドナルド・サザーランド(警部補)
  エンベス・デイヴィッツ(神学者、グレタ・ミラノ)
  ジェームズ・ガンドルフィーニ(ホブスの同僚、ルー)
  イライアス・コティーズ(死刑囚、リース)
  ガブリエル・カソーズ(ホブズの弟、アート)
  マイケル・J・ペイガン(アートの息子、サム)

ストーリー用ライン


雪に埋もれた古びた山荘の近くを、ホブス警部が息も絶え絶えに
のたうちまわっている・・・・・・。

時は少し前に戻る。
今日は凶悪犯リースの処刑の日だ。リースの要求に従い、彼を逮捕したホブス警部が呼ばれた。
“Time is on my side”を歌い、握手を要求するリース。執拗にホブスの手を握るが、何か思惑が外れたようだ。リースは妖しげな呪文を唱え、「また逢おう」と不敵に笑い処刑された・・・。

リースから“何か”が抜け出る。姿形はない。
彷徨い、まず死刑執行の看守に憑依。看守が接触する人々に次々と“何か”が順番に憑依してゆく。そしてサンドイッチ売りの青年チャーリーを宿主と決めたもよう・・・。

チャーリーはリースとまったく同じ手口で赤の他人を殺害。
毒殺され、遺体の胸には18と書かれていた・・・。

この事件に、模倣犯か、はたまたリースに共犯がいたのか、と
警察は騒然となる。
犠牲者のアパートの壁に、リースが言い残したなぞなぞが書いてあった・・・!! 

だが、捜査が進まぬうちに、またしても同様の手口の殺人事件。
今度の犠牲者は、チャーリーだった。見知らぬ男に毒殺され、
胸に2、と書かれていた。

やがて、リースの遺したなぞなぞの答がわかる。
敏腕警部だったが、殺人事件の容疑者にされ山奥で不可解な死を遂げたミラノ警部のことを意味するようだ。

ホブスは警部補にミラノ警部のことを尋ねるが、頑なに口を閉ざす。ミラノ警部の1人娘で神学者のグレタを尋ねるが、彼女もまた、頑なに口を閉ざす・・・・・。

ホブスは1人でミラノ警部の亡くなった山荘を訪ねる。
地下室の壁に、AZAZEL と書かれ、塗りつぶしてあった・・・。

グレタにアザゼルとは何かと問うと、堕天使のなれの果てで、接触することで憑依し続けてゆく荒野の悪霊のことだという。

信心深くもなく、目に見える証拠を集めて捜査する警官という職業のホブスは、悪霊なぞ、にわかにはとても信じがたい。

だが、悪霊の存在を信じざるを得ない出来事に遭遇する。
悪霊はホブスを執拗に弄び、破滅させるつもりだ・・・!

手で触れても憑依できないほどに善良なホブスに憑依し陥れるべく、アザゼルはホブスの苦悩を悦しみながら距離を縮めてゆく・・・。

アザゼルは、ミラノ警部のときのようにホブスを凶悪犯に仕立て上げ、彼の家族に魔の手を伸ばしてきた。

アザゼルの唯一の弱点をグレタの協力のもと黙示録で調べ、
決戦の覚悟を決めるホブス。

自分に憑依されたら、自殺も叶わず、逮捕されるまで殺人をし続けるだろう。そしてリースのように、死刑になり死体から抜けたアザゼルがまた誰かに憑依して・・・!
なんとしてもアザゼルのもくろみを阻止せねばならない。

殺人犯として警察に追われながら、ホブスはアザゼルを誘き出そうと作戦を練るが・・・・・・。

悪魔を憐れむ歌 (DVD)

コメント用ライン


悪霊に実体を与えない手法が恐怖心をあおる。
想像力のある人ほど、後から考えれば考えるほど怖くなるタイプの
ホラー。
視覚的な恐怖が描かれないぶん、澱のようにドロリと底にたまる
不気味さがいい。

バトンリレーのように(増殖ではなく)、数秒ずつ悪霊が憑依しながら移動するシーンはかなりゾっとする。

アザゼルの目的は1つ。
物語中盤で、“善良さをかくせ。善良な行いは悪魔を呼び寄せる”
と聖書にあるのをホブスは読みながらも、「警官は選ばれし善なる存在」と信念を持つ彼は、浮浪者に小銭を恵む。
妻に出てゆかれても、病気がちで仕事に就けない弟親子を居候させてやり、手厚く面倒をみる。
決して賄賂を受け取らない。

その善良さはかつてミラノ警部の持っていたそれと同じで、
悪魔の征服欲をかき立て燃え立たせるのだ。

憑依の意図があれば、服に触れただけでものりうつれるほど、
市井の人々は“弱い”。真面目な高校教師であっても。
ホブスは汗でベトつきそうなまでに手を握っても憑依できなかった。
アザゼルは堕とされたこの地上で、人間の善を滅ぼすべく、美を醜に変えるべく姑息に活動している。
人間全体をターゲットとするルシファーとはレベルが違うアザゼルを選び、目をつけた1人の人間に固執して破滅させようとするあたり、脚本のアイディア勝ちか。

悪魔VS人類、とまで風呂敷を広げてしまうと他人事になりがちなのだが、執拗な悪霊VS少なくとも愛する者だけは守り抜きたい善良な1人の男、となると、輪郭がボヤけない。

作品の規模が小さくなるデメリットとひきかえに、濃厚なエキスを注ぎ込むことに成功している。
小粒でウマいってことだ。


そして、俳優の演技に相当依存するこの脚本を支えるのは、
手堅い演出と、俳優陣の絶妙な演技力。

濃厚なキャラがひしめく中、デンゼル・ワシントンはいつになく
肩の力の抜けた演技が印象的。ガンバって善人ぶってるのではなく、根っからの善人(なおさらアザレルが興奮しそうな要素)なので、この演技は正解である。

そして、濃厚な面々。
ドナルド・サザーランド、このヒトはほんっとに読めない。
登場からいきなり一番キナくさいんだが・・・。
だが、怪優ドナルドの名前を忘れてただ普通に見れば、非常に常識的な、よくいる警部補。保身に走るズルさと、部下を思うよい上官の面があってこそ、生き馬の目を抜く犯罪大国で警部補やってられるんだろう、というリアリティがある。

ジョン・グッドマン、大好きな俳優だ。
ホブスから、善良さを一割と、有能さと精悍さを引いたような
“仲間思いで仕事熱心で、とてもいいひと”ジョーンジー。
彼も、特にコーエン兄弟の映画でアブない役をこなしてきているので、最後までハラハラさせてくれた。
あのシーンを見て、コーエン兄弟の怪作『バートン・フィンク』を
思い出した人は私だけではあるまい。

エンドロールで流れるストーンズの“悪魔を憐れむ歌”は、
凹んでいてあまり耳に入らず(※悪魔ものは救いがあってはつまらないので、これでいいのだが、やはり凹む)、アザゼルのテーマ曲、“Time Is On My Side”が耳にこびりつく。

救いのない悪魔との対決を描いた傑作の例
『ディアボロス〜悪魔の扉〜』
『ダークネス』

二元論の西欧文化(キリスト教)。
悪魔が“滅んで”しまうと、自動的に神の存在もあやうくなる。
悪魔がいて、神がいる。
神がいて、悪魔がいる。

日本の幽霊退治や悪霊祓いの感覚だと、納得ゆかないかもしれないが、多元論の日本文化とは根本的に違うことを念頭において、
精一杯の抵抗を、せめて自分の愛するものだけでも守りたい、と
すべてを賭して挑む人間たちのドラマは、結末に救いがないと
予想がついても、観ずにはいられない・・・。


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