今更ながらどうやって終わったのかを書いておこう |
お久しぶりです。 お久しぶりすぎて自分で笑ってまうわ。
約1年以上(実質はそれ以上)放置していた「股・戯れ言」にいろいろ書きたい気分が戻ってまいりました。
てか、書かなければならないことが沢山あるな。 沢山ありすぎて、何から書いていいのかわからないくらいだ。 なにせ、ロケットさん追悼から時が止まってるもんなー股・戯れ言は。 それよりもうちょっと前のことから書いていきましょうか。
いまから約3年前、わしはこっぴどい失恋をしたのだった。 って、股・戯れ言の2008年〜2009年の記録は全部それのことだよな。自分で読み返してみて、おー、よくもここまで洗いざらいに苦しみの記録を残したもんだ、と感心してもうた。3年前のおれ、GJ。 その時「もう二度と恋愛できないかもしれない」「これから先、楽しいことはひとつもないのかもしれない」「時間が経つのが遅すぎる」などと本気で思っていましたが。 たった3回だけ来店した人生経験豊富な人(高齢のニューハーフ)にその苦しみを話したところ、 「時間が解決してくれることって、あるのよ」 って言われて、そんなことホントにあんのかよ、ウソでえ、じゃあわしの今のこの苦しみはなんなのかと、と思っていましたが。
あった。
時間が解決してくれることもあったし、楽しいこともあったし、恋愛もちゃんとあったのだった。
それどころか。 失恋の対象の人と、再び言葉を交わすこともあったのだった!
いやいや、生きてりゃいろんなことがあるのだな。
あの時、いっぱいいっぱい苦しんでよかったんだな、と今となっては思える。わしにとって、あの失恋があってよかったんだな。時間が経ったからそう思えるんだろうけど。(その時そんなこと思いつくほどの余裕はなかった)
いろんなことがあったが、失恋対象者の人と再び顔合わせて飲んで、それが某ミュージシャンの人を囲む飲み会であったもんだから調子に乗ったわしはいつも通りイエイイエイと騒ぎ、最後のほうはいつも通り暴言を吐いたりして迷惑をかけた(たぶん。記憶曖昧)のだけど、その時に「あーもう彼に会うことはないかもしれんな」と覚悟した記憶はあります。
だって、あれだけもう会えないかも、会いたいけど二度とそれは叶わないのだろう、と思っていた人とまさか会うことができて、まさか飲みの場で同席して、あろうことか最後は暴言まで吐いてるのだから、願い叶いすぎだろ。会えただけで十分だったのに。 だから、これはきっとたった一度だけのボーナスなのだろうと。
記憶あいまいながら、暴言を吐いたわたくしに対して当然のように怒った彼が、足早に去っていく後ろ姿だけは覚えている。それを見てそう思ったのだった。しかたがない、しかたがない。会えただけでよかったんだ、思ってること全部言えたなんてすごいことだよ、と自分に言い聞かせてその後別の店移って友人とベロベロになるまで飲んだのだった。(ダメ酔っぱらい)
当然のように彼からは連絡はなく、私もそれは心得ていたのだけど、数日後の私の30歳の誕生日に彼からメールがきた。
「あんたはやっぱり人間的に最高だなあ」
あれ?人間として魅力的だったかな?魅力的な人間だったかな?(大事な部分なのにうろ覚え) そのような旨の書かれたメールを見て、私は飛行機の中で嬉しくて泣いたのだったよ。 3年〜2年前の日記に繰り返し、「どんなことがあろうとも、相手がどう思おうとも、彼は私にとって大事な人間である」と書いたけど、そう思い続けててよかった。もちろん、今もとても大事な人だよ。好きだ。大好きだ。 でももう恋愛的な好きは、そこで成仏したのよね。
私の沖縄の恋のおしまいは、こんなかんじ。
私はこの恋愛経験して、ほんとによかったなーと思ってます。 いろんなこと学んだけど、おしまいのあとにわかったことは 「恋愛感情が終わっても、違う関係になれる」 こともある、ってのを経験できたのが大きいかな。 それまでは、別れたらもう二度と会わない/会えない(自分が憎んだりしてしまうようなことも含めて)ものだと思ってたのですよ。 それは初めての経験だったし、自分が違う次元に行けた気がすんだよね。まあ、ぐじぐじしながらも、私も成長したってことだろう。 自分では成長なんてわかんないけどね。相変わらずダメな酔っぱらい方も繰り返してるしなガハハ。(笑ってる場合じゃないが)
で、その後のことは、次の日記に続く。 (股・戯れ言は終わらないよ!つづくよ!)
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2011年08月24日(水)
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