股・戯れ言
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跳んだあとと見るまえの手紙

2週間くらい日記を書いておりませんでしたが、ぼちぼち生きております。
何やってたのかというと、まあ、相も変わらずちまちま文章書いたり、バイトしたりで、「交通事故に遭った!」とか「大恋愛していた!」とか「日記に絶望した!」とかいうような充実した日々を送っていたわけではございません。
空虚っちゃあ空虚だけど、それなりに前進しつつもありますよ。

と、呑気に書いておりますが、
今、テレビでディスコ番組(DA PUMPの番組だけど)がやっててそっちに釘付けでございます。
この2週間は岡林信康とディスコ音楽ばかり聴いておりました。どんな振れ幅だ。岡林信康は後述するとして、ディスコ音楽ってどのあたりかというと、いわゆるディスコクラシックばっかです。アースでシェリルリンでヒートウェーブでエモーションズだよ。あ、あとアイズレーブラザーズ!去年の年の瀬に新宿コマ劇内にあった「ニューヨークニューヨーク」の跡地で飲んだのだけど、この二週間の間にこそあそこに行きたかったわ。そして映画「DISCO」もちゃんと見に行っておけばよかったわー。悔やまれる!
http://www.disco-movie.jp/

まあ、実際んとこはディスコ定番よりもケニー・ドープのディスコ音楽mix盤とかケニー・ドープ選出ディスコ音楽集ばかり聴いておるのだがな。


と、まあ、ディスコ音楽のことばかり最初に書いたけど
重要なのは岡林信康だ!
2年ほど前、岡林信康が笑っていいとものテレホンショッキングに登場する!というのを会社の休憩室で知り、ものすごくショッキング
でございました。(実際にテレホンショッキング出演したのを見たのか見てないのかは、なぜか覚えていない)
当時は当時でいろんなモヤモヤうじうじ抱えていて、考えに考えて、ある日
「考えたり恐れていてもしょうがねえ!見る前に跳べ!だ!」
と腹を決めた時に偶然、岡林信康がテレビに出るのを知ったのだった。
んで、わしも見るまえに跳んだ。
跳んだことにより1年数ヶ月の未来が開けたのだった。



で、また、行き詰まった時。私自身は愚かなことにその行き詰まりに気付いていなくて(いや、気付いていたのかもしれん。目を向けないようにしていたのだ)、私自身のことを私以上に考えてくれている人がぼーんと放り投げてくれた。飛ばされたというわけだ。
その人の放り投げというか足蹴(それは恨みでもなんでもなく、愛のある足蹴だったと思っております)があって、わしはまた跳んだ。
跳んだことで、また未来が開けた。
今もその未来は続行中だ。それがかけがえのない現在だ。



その新しい踏ん切り(ようするに決意ですね、自分で跳ぶということは)からまだ7ヶ月くらいか。
今、私は別に行き詰まっているわけではない。自分で選んだ道を歩んでいるからな。その責任もすべて引き受ける覚悟もある。実際引き受けておるし。
でも気持ち的には行き詰まることが何度もあった。いや、ずっと気持ちは行き詰まっているのかもしれないな。行き詰まってもしょうがない道を選んだのだから、いいのだよ。気持ちだけでは前に進めない状況だって自覚しているしな。
でも、気持ちの行き詰まりが苦しかったりもする。あまりの苦しさゆえに、こんな気持ちはすっぱり投げ捨ててしまったほうがいいのかもしれない、とも思う。自分ではない人間のことを勝手に考えて恐れて気を遣って、あきらめます、なんて言ったこともあったが、全然投げ出せなかった。
友人に「それはあなたが、すべてを自分で決めないと気が済まないからじゃないの」と指摘された。きっとその通りなのだろう。だったらさっさと自分で投げ捨てると決めちまえ。そんな気持ち殺しちまえ。
何度も何度もそれは考えた。
でもな。「でも」なんて言葉使いたくないけど。
私の望むものは、「自分で決めること」ではないのだ。
私の望むことは、私を超えたところにあるものに近づくことだ。寄り添うことだ。私の体、意識の外にある世界というか人と、触れ合うことなんだよ。
あ、こうやって書くとやっぱり行き詰まっているね。


そんな矢先の岡林信康、ミュージックフェア出演(1月31日OA)。
仕事の関係で「チューリップのアップリケ」しか聴けなかったのだけど、このタイミングで岡林信康を見たことに何かの意味を感じる。全然なんでもないかもしれないけど。信じたり、見るまえに跳んだ者にしか奇跡は起こらんからね。
そうだ、このミュージックフェア見る前に、ちょうど「ラブソング」「セレナーデ」の紙ジャケ買ったのにも何か意味があるんだきっと!
しかし「セレナーデ」はシティポップスでいいアルバムだよ。当時はいろいろ叩かれたアルバムらしいですけどね。



テレホンショッキングに岡林信康が出た頃、わしは手紙に「私はあきらめません」という決意を書いた。
その手紙のことをふと思い出す。あの時の、眩しいくらいの自分の決意を思い出す。
それを思い出せたことだけでも、いいのだ。そんな小さなことだけでも岡林信康を今見た意味はあるよ。
ああ、そうだ。あれはバレンタインくらいの出来事だった。そうか、今年もバレンタインがやってくるのだなあ。ああ、カウンターバー用のチョコというか焼き菓子というかを作らんと!


2009年02月13日(金)

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