きみと歩いた青春、あんたと歩く性春 |
昨晩NHKでやってた「NHKスペシャル 女と男」を途中から見ていたのだけど、今、男性というのは滅亡の危機にさらされているらしいね。 正確に言うと男性ではなく、精子の生命力が低下しているらしい。人間の精子は他者の精子と競争したりすることがないのが原因だそうです。 えーそれ人間の精子だけ?他のほ乳類はどうよ?というと、 たとえばチンパンジーだと「乱婚」といって、複数のオスがメスに射精し、一番強い精子が卵子に届く、というのが当たり前なんで、精子の生命力がグングン進化していくのだそうだ。
なんかチンパンジーってAVみたいな生殖行為なんだな。 精子滅亡の危機は由々しき事態だが、人間にそのような生殖行為形態がなくてよかったわい。連続中出し当たり前!みたいな世の中はつらすぎる。子孫を残す、種としての進化を優先する、という意味ではいいのかもしれないが、精神がガンガン傷つきそう。 先日、二村ヒトシ監督が、自身の新作「ギブス」を説明する時に 「これはまあ、ヤツザキのようなセックスをすることで傷つく女性のAVですよ!」 と言っておって、即座に「そんなことないよ!」と反論したけれど、セックスが自分にとって悦びと哀しみが背中合わせの行為であるという事実は否めない。ううむ。ひとりの人間とセックスしていても心を痛めたり、どうしようもなさやむなしさに苦しんだりするのだから、不特定多数と「自分のため以外に」(ここがいちばん重要)しなければいけなくなったら、どうなってしまうんでしょ。わからんのー。 「ギブス」についてはまた別の機会に書くとして。
そういえば、セックスという言葉は知らないうちに市民権を得たよなー。 テレビで普通に聞くようになった単語だけど、わしがハタチになる前まではそんなことなかったと思う。「セックス・アンド・ザ・シティ」の威力はすげえなあ。子供がいる人たちはこのタイトルについて尋ねられた時、なんて答えているんでしょうか。
話が二重に逸れた。 そんでまあ、前回の日記に続いて太田裕美ベストアルバムの話になるんですが、その中に「きみと歩いた青春」が入っておりました。 これもふぁるさんからイイ曲と教えられた曲なのだけど この曲の一番最後の言葉にグサグサやられる。
「君はなぜ、男に生まれてこなかったのか」
これはわしが28年間思っていたことですよ。 なんで私は男に生まれてこなかったのかなあー、女なんていいことひとつもありゃしない。と、思ってました。特に仕事していた時はこう思うことばかりだった。あと、前述のような、セックスをして哀しい気分になったりする時に、こんな風に精神が弱い(すがりたい、次もあるという確証が欲しい、など)のは、自分が女であるからなのだ!と思っておりました。 まあ、それは性別とは関係ないことだと今はわかりましたけどね。 去年の11月終わりくらいにビヨンセの「IF I WERE A BOY」について書きましたが、その時はもう、この「ああ、男に生まれてたらよかったのに!」というのを超えた時だから、もうそういうことも書いていないのだけど。
しかし、最近思うのだけど、「さみしい」「ひとりつらい」という感情に耐えられない精神というのは、実は男性的な精神なんじゃないかなー。 女性的な精神は、実は「ひとりにも耐えられる」精神なのだと思う。べつにひとりであることだけが問題なのではなく、たとえば「貧乏に耐えられない」でも「寒さに耐えられない」でも構わない。逆境に立たされた時に、不安に押しつぶされてしまうのは、男性的な精神。命さえあればどこからでも這い上がってってやるぜえ!自分でなんでも産み出してやるぜええ!ってのは女性的な精神だと思うのですよ。 別に「女性的な精神」「男性的な精神」てのは、精神の性別であって、男性にも女性にも宿るものだと思うのですけどね。 だから、女性でも耐えられなくて死んでしまう人もいるし、男性でも耐えられる人もおると思う。
で、最近の女性(自分含む)には、さみしさやつらさに耐えきれない、男性的な精神が宿っていることが多い気がする。
わしは、幼少の頃から母親に「自分で生活できるようにならないといけない。そのためには勉強して、良い学校に入らないとダメ」というようなことを言われてきました。きっと、このように言われてきた女性はいっぱいいると思うよ。良い学校に行け、とは言われないまでも、「自分で生きていく力をつけなさい」とか「手に職を持ちなさい」とか。 オスカルではないが、ある意味、「男(と同等)になるように」育てられているわけですよ。学校行っても特に男女の差はない教育受けて、男になるように、女性は育てられていくのだよな。家庭科と技術くらいの差はあるけどさ。 で、そうやって育っていくうちに、男性的な精神性も勝手に身に付けてしまうのだと思う。いや、実際わしはそんな感じでした。 でも、完全な男性にはなれないのだよな。 なる必要もないし、当たり前のことなのだけど、「完全な男性ではない」ということでいつまでたっても劣等感持ってしまったり。 「男のようになりなさい」「ならなければいけない」って呪いをかけられるのは簡単だけど、解くのはなかなか難しいことだ。王子様のキスなんかじゃ解けやしない。それがきっかけになるかもしれないが、結局は自分で自分を解放しないと解けないのだ。
私が会社辞めて一番よかったことは、「男性にならなきゃいけない」「私はいつまでも足りない/およばない存在だ」という考えから自分を解放できたことだと思っております。 だから、今つらいとか、さみしいとかに、なんとか耐えられているのだと思う。まだまだ訓練不足で発狂しそうになることもあるけれど。この先いいことなんかなんもないのかもしれない、と思うこともあるけれど。 でも、大丈夫だ。 今は男に生まれてこなくてよかった!と思っているくらいだよ。 太田裕美の「きみと歩いた青春」歌詞最後の一行に対するアンサーとして、やしきたかじんの「あんた」歌詞最後の一行
「女でよかった あんたに出逢えたからね」
を腹にしっかり抱えているからね。
なんか私は、29歳にして女になったような気がしますよ。 今まではどっちでもなかった気がする。どっかの哲学者が「女は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったらしいが、それホントなんだよ、という感じ。 自分で自分の中の男性を滅亡させたのだな。いや、男性的な部分もまだ十分あるけれどさ。あー、もともとあった女性的な部分に主権を移したって事か。
ちなみに前述のNHKスペシャルの中で、「クマノミはオスがメスに性転換し、メスがオスに性転換したりする」というのも言ってたのだけど、私は28まで、クマノミのようなもんだったのかもしれないね。あんなに可愛らしいもんではないけれど。 まあ、声の低さゆえ、未だに「オカマ?」「男ですか?」などと間違われたりしてますけどね。 生粋の女でございます。むしろ、女盛りだっつうの。
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2009年01月22日(木)
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