股・戯れ言
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ユー・スピン・ミー・他人の「軽い女」価値観

深夜番組「美しき青木ドナウ」ん中でやってる「女のデッド・オア・アライブ」というコーナーが好きで、それを見ては「私だったらA選ぶわ」「B選んだほうがいい女じゃねえか」とあれこれ言っているのですが、
(今日、このコーナーのテーマ曲がデッド・オア・アライブであることに初めて気付いた)
今日のお題の中に
「あなたは好意を寄せている男性に『家にDVD見に来ない?』と誘われました。あなたならどうする?
A.行く
B.断る」
というものがありました。

パネラーである女性達の意見は真っ二つに分かれて、「なぜ行くのか?」「なぜ断るのか?」というディスカッションが繰り広げられたのだけど、
B選んだ森口博子が
「着いて行くことによって、軽い女だと思われるのはダメなのよ」
「男の中には『大事にしたい女』『すぐやれる女』『簡単に捨てられる女』という引き出しがあるが、すぐ家に行く女は大事にされない。ここは断るべき」
と言っておりました。

わしもこの日記では「女は自分を大事にしろ」と書いておりますが、わしの答えはAです。
自分が好きな男だったら、行ってもいいんじゃねーの。むしろチャンスだと思う。ただし、好きじゃない男には絶対ついて行くな!自分がいいと思った男だけだぞ!と言いたい。
着いていくと軽い女に思われる、とは言うが、「自分は軽い女ではない」という自覚があればいいんじゃないかと思うんですけどね。自覚というか自信か。
行ってもやらなきゃいいんだしさ。自分がやりたければやればいいし。
そこは自由だ。個人の裁量だと思います。
女はどうしても客体である(選ばれる/やられる/捨てられる、というような感じね)という意識が強いですが、選ぶのもやるのも捨てるのも女だっていいじゃないか、自分が主体なんだから。とは言っても、なかなか難しいことですけどね。そう言ってる私もそれが実践できているかといえば、そうではない部分も多いですから。


まあ、そんな私の考え方はこの際どうでもよい。
「A.行く」を選んだ森下千里が、「行ってもカラダの関係にならなければいいんですよ」「軽いとかそういうことが問題なんじゃなくて、行くことで自分が好きであるという意志が伝えられればいい」というようなことを言ってまして、それに対して森口が「軽く見られることがどういうことだかわかってるの」「甘いわよ」と言っておったんです。
そしたら森下千里が
「森口さんは、今まで『軽い女に見られたくない』というので断ってきて、よかったんですか。幸せになれたんですか」
とかなり突っ込んだ疑問を突きつけておったのですよ。
で、森口が
「私は、全部自分で選んできたの!仕事をしている自分が幸せだったから、それ以外はプロポーズも含めて断ってきたのよ!」
と答えてて、それでも森下千里が納得いかねえという顔してたのですが、
それは「森口博子ごときにいい女発言されたくねえ」と思っていたからだと思う。
悪いが、私も「それを森口が言っても全然説得力ないなー(仕事って夢がモリモリやポップジャムだろ)」と思ってしまった。いい女発言って人を選ぶね。気をつけましょう。



で、ここまで長々と引用したのは、この、
「軽い女に見られたくないから断る」
という部分について、ちょっと言及したくなったもんで。
最近MTVをよく見ておるというのは何度かここにも書いておりますが、わたくしは派手な肌露出しまくりのクリスティーナ・アギレラさんが好きでたまりません。ブリさんも好きです。下品なくらいの露出。腰のふりっぷりも素晴らしい。なんというのかなー、いわゆるビッチみたいな格好しているねーちゃんって、「軽い」というイメージのものを沢山身にまとっているのに(逆に裸に近いから身にまとっていないか)、ものすごく「強い」と思うのですよ。
自分の肉体を誇ることは、軽いように見えて全然軽くない。むしろ自分の肉体は「武器」だからね。かつ、魂の鎧だからね。
若い女の子、いや、若いに限らなくて全然構わないが、女性が自分の体をガンガン露出し(エロスアピールという意味合いだけではない。って女性であるならわかることだけど、男はそれがわかんなかったりするんだよな〜)、髪の毛ガンガン盛っている姿って、とっても攻撃的でかっこいいなあと思う今日この頃。あれは男に媚びる格好ではないのだ、自分がしたい格好をしている結果なのだ。つーか、「男を自分の手で掴む」ために、あの格好をしているのだとしても、それはそれで能動的行為であって、媚びているとしても自覚があるからいいのでありまして。
こういう攻撃的アピールはものすごくポジティブなので、いいと思います。
むしろ全面支持。女なんだもの、女であることをとことん楽しまんと。武器にしないと!


で、「軽い女に見られたくないから断る」っていうのは、それとは対照的な方法論だと思うのですよ。引き算方式というか。ガード戦法というか。
ものすごく消極的な「自分の価値引き上げ法」だと思うのですよね。
さっきも書いたけど、自分は軽い女じゃないという自信さえあれば、何があってもやられないで乗り切れると思うのですよ。裏を返すと、自信がないから先にそういう状況にならないように予防線張っている、とも取れる。
誰だって「軽い女」なんて思われたくないものですよ。
それはビッチだって、ヤリマンだって、尼さんだって一緒だ。そんな風に誰からも思われたかないよ。
だからこそ、自分だけはそうじゃないと自分を信じるということが大事なわけだが、そうやって自分を信じられない人のほうが、あらかじめガードポジション取ってたりするんじゃなかろうかと思いました。
まあ、そもそも「軽い女に見られたくない」って動機が、すでに自分が主体じゃないわな。周りや男がどう思うかなんて、自分が自分をどう思うかに比べたらちっとも重要じゃねえっつうの。
(まあ、「自分を軽い女だと思いたくないから断る」というのなら、まだいいのかもしれんがな。でも、これもそうじゃないという自信さえあれば乗り切れることだと思うのだけど。そんなに人間強くないかね?)
そんな他人との比較の世界で生きていたら、いつまでたっても自分「だけ」を見殺しにしたまんまだ。それで自分は幸せになれんのか。この世で絶対なのは、自分たったひとりだけなんだから!



なんか書きたいことがちょい違ってしまったが、まあ、いいや。
しかし、森口博子を外見はブスだとは思わないが、「自分を大事にする」「自分には価値がある」ということを間違って解釈してしまう女性(周りにそういうアピールをすることで安泰だと思ってしまう女性)ってのは、何でか知らないが二流以下の女性ばかりになっているよねこの世の中。ブスにも多いよな〜。いや、そう思っているからその女性はブスになってしまうのだよな。ブスってやっぱり外見の問題ではなく、内面の問題なのだ。


私は、傷だらけだったり、バカみたいだったりしても、自分だけは自分を見捨てねえ!と闘いに挑んで、敗れたらその傷口をバカバカ見せていく女性のほうがずっといい女だと思います。傷つくのなんかみんな怖いんだよ。それでも戦いに挑んでいく女、負け戦だとわかっていても戦場に身を投じる女。
そういう女がやっぱ好きだ。愛おしい。
負けても負けても、わしが抱きしめてやる!(その代わりわしが負け戦から帰還したら、抱きしめて!)

2008年12月15日(月)

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