股・戯れ言
BBS

対てるね、ノッてるね

寒い季節になってきたからか、排卵痛がズッキズキしてたまらん日々が続いております。
「女はおなかを冷やしちゃダメよ!」なーんてのをよく聞きますが、あれってほんとだったんですね。妊娠してる人だけが冷やしちゃいけないんだとばかり思ってました。
湯船に入るのは大事であるなー。湯船入っている間だけは絶対痛まないからね。出たとたんに待ってました!とばかりに痛みがきたりするけど。
今日はもう痛みがマックスに達していたので、こりゃーかなわんわとサウナに行ってきました。20分×3くらい湯船に入っておりましたよ。サウナも5分×3やったけど、途中でビール飲んでしまったからそれ以上できんかった。
サウナいいわー。極楽であるわー。
前に「マン喫に住みたい」という友人がいたけれど、私はマン喫より断然サウナだな。サウナに住んでしまいたいわ。3ヶ月ロッカー借りたくなったですよ。
まあ、とは言っても、そんなにしょっちゅうサウナ行けるわけでもないので、誕生日に友人からもらったはらまきを毎日するようにしよう。
しかし、いつになったらこの痛みから解放されるんでしょう。薬で痛みを予防するのはダメ(特異体質だったから)になってしまったしな〜。環境が変わるとストレスが減って、体質が変わるときいていたが、会社辞めたけど全然おさまらね。じゃあ私のストレスは一体何なのだ!?


話は前の日記の「女神記」に戻るのだが、女はみんなイザナミだー割食ってでもそこからのし上がっていくものじゃーと書いた。みんなイザナミって書いたけど、別にみんなじゃないですね。女の一部がそうだと言うだけの話でした。
堕落したまんまという女もたくさんいると思います。でも、堕落しても、どこまでも落ちてもそういう人でも生きていくから、やっぱりそれは「何があっても生き延びる」って意味でイザナミな気がするな。死んでも死なないって意味で。
それが言いたかったんではなくて、この「女神記」、すべてのことは対である、というのもテーマになっておるのですよ。この世は陽と陰、天と地、昼と夜、生と死、男と女、とすべてが対になっていると。イザナギ・イザナミの話でも「私には一部分足りない部分があるのです」「私には一部分余分な部分があるのです。では、それくっつけて国作ってみましょうか」というくだりがありますから、対であるということは足してひとつになるということなのだよな。
ひとつでは不完全。ふたつで完全。というか完全以上。
で、これ聞いて思い出したのが「日出処の天子」でした。
久々にとこてんの話書くな!最近、ザ・フーの話書いたりもしたので、なんだか往年の「股・戯れ言」に戻った気がするよ!
そのとこてんで、厩戸皇子が毛人(言うまでもないことだが、両方男。そして厩戸は毛人が好きで好きでたまらない)に
「私たちは、2人でひとつなのだ!生まれる前にそうだったのだ!
 2人だったら、なんでもできるのだよ!」
というシーンがあるのだけど(厩戸は超能力者で、日本に雨降らさなきゃいけないときにひとりで頑張ったんだけど結局ひとりでは降らすことができず、毛人に助けて貰って雨降らせたりしておった)、
それ聞いて毛人が
「私と貴方が結ばれないのは、2人だと神以上になってしまうからです。
 それは、起こってはいけないことなのですよ」
みたいなこと返すんだよな〜〜〜。
まあ、このシーンは他いろいろあって(厩戸がものすごくみっともなくなっていくあたりに、激しく感情移入してしまう)、号泣しまくりシーンなんですけども。
完全以上になってはいけないのだよな。対ってのは正反対という意味もあるから、絶対にくっつかないという意味でもある。
でも、どっちかが欠けたら、片方の存在意義はないのだ。
夜がなかったら昼はありがたく思われない、みたいなもん。男がいなかったら、自分が女であることを自覚しないということ。
はー難しいねえ。


こないだ人と話していたら、「夫婦や恋人に対等はない」「対等になったら、それは夫婦や恋人ではない」という話をされてました。
その人の理論は「女は男を立てろ」ということだったので、いや、それは100%納得することはできかねます、と言ったのだけど、
上の理論からすると、対等な異性というのは、必要だけど結ばれてはいけない/結ばれることはないということだから、対等ではない異性と恋愛や結婚をすることってのは、まあ理にかなっているのかもしれませんね。
でも、やだな。
やっぱり相手には「尊敬」を抱きたいんだよなー。
見下されるのもいやだし、劣ってるなあと思うのもいやだもんなあ。
でも実際、片方が片方をものすごくバカにしている夫婦や恋人って多いからな。「相手をけなさないと気が済まない」ってのも実際きいたことあるけど、それは愛情の裏返しだと思いたい。
だったら、100%対等な、恋愛関係肉体関係一切ナシの人と結婚「のみ」をしたい。対外的な意味(親の手前とかね)や、老後楽しく生きるため「だけ」のための結婚でいいや私は。

でもそれだと一生、「私は一部分足りない部分があるから不完全」という思いに駆られたりすんのかなー。わからんけど。

まあ、自分で「足りないけどこれで完全」と思ってればいいだけの話なのだよね。「足りない部分を埋めたい」という思いに固執しなけりゃ楽なんだろうけど。あと「足りない部分があるけど、それを埋めたら、もれなくほかの必要ないモノもついてくる」ってのをものすごーいデメリットだと思うとかね。
実際、そういう考え方でひとりの道を選ぶ人っていると思う。
まあ、何を選んでもいいんですよ。ただ、選んだ以上は文句言っちゃいけないってだけの話だよな。誰かのせいでこうなった、とか、こんなはずじゃなかった、ってのは絶対禁止ってだけの話。
はー難しいねえ。(二回目)
2008年12月12日(金)

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