女はみんなイザナミである |
桐野夏生の新作「女神記」が出ていたので読みました。 新作は日本神話!しかも、イザナギ・イザナミの話だったですよ。イザナミを取り上げるのが桐野夏生らしいなーと思いました。どんなに逆境でも、ものすごく悪い扱いであろうと、転んでもただじゃ起きない女の話を書くのがうまいからなあ。悪女と呼ばれようと、みっともない女になろうと、決して誇りを捨てない女というか。 いや、違うな。女というのがもともと、何があろうと誇りを胸に、どんなところからでも這い上がっていく生き物なのか。どんな場所でも、どんな状況であっても、ものすごい負の感情すらも、生きる力に変換できる生き物というのが、女なんでしょうね。「自分」が生き抜くために、どこまでも貪欲になれるのだよな。
って書くと、なんかこれは「女神記」よりも「東京島」の感想のようですね。東京島の主人公の女はすごかった。どんな手を使ってでも「自分」が生きることだけを模索していた。女は何度も他人(おもに男。まあ、同性もあるけど)に心を殺されるから、せめて自分だけは自分を殺してはならんのだ。わしも、そういう風に生きている。
しかし、桐野夏生は「メタボラ」以降、沖縄のことばかり書いてるね。 「東京島」も尖閣諸島(かと思われるが、実際のところはわからない)の島が舞台だったけど、「女神記」は久高島の話であった。「女性」が「生き延びていく」、あるいは「生命を燃やし尽くす」ということがテーマの作家さんだから、その舞台にはあの、生命力溢れる南国の島があっているんだろうなあ。
そういや、またペルー人の幼女殺した人のことがニュースになっておるが、 どっかで読んだけど、あのペルー人見るとやっぱり「OUT」のカズオを思い出すな。車会社の契約社員が一気にリストラにあったというやつも、ものすごく「メタボラ」を想起させられます。
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2008年12月10日(水)
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