未練がましいろくでなし |
三連休(無職だからエブリデイ・イズ・ライク・サンデーだろ、と思われがちだが、バイトしたりなんか書いたりといちおう労働しているのですよ)は、おもしろおかしい結婚パーティーのスタッフやったり、スナックというかカウンターバーというかな店のカウンターん中入って切り盛りしてみたり、おなご3人で飛騨高山まで行ったりしておりました。 結婚パーティーはおもしろ夫婦の人柄を反映したような、2時間みっちりショータイムでありました。裏方であれこれやってたけど、それでも楽しめた。末永くお幸せに!ずっとおもしろくやってって欲しいッス! で、女3人飛騨高山の旅は、とんでもない渋滞に巻き込まれましたが(行楽シーズンだからな)、紅葉見たり山寺の一大イベント鑑賞したり、温泉浸かったりSAや道の駅に停まってはあれこれ買い食いしたり(体重間違いなく増えておるな。ダイエットはどこ行ったんだ!?)、大満足でありました。 秋満喫でございます。 まあ、飛騨高山はすでに秋って気温じゃなかったがね。寒くてたまらんかった。
と、近況はさておき。(ここからいつものモードへ突入) こないだ寝る前に、ふと 「好きの反対は嫌い、じゃなくて、好きじゃないだよな」 「嫌いの反対も好き、ではなくて、嫌いじゃないだわ」 ということに気付いてしまいました。 好きじゃない、嫌いじゃない、って書くと曖昧ですが 要するに「なんとも思わない」「どうでもいい」ってのが、好き/嫌いの反対語だということです。 逆に書くと、好きだ、とか、嫌いだ、というのは同じカテゴリーの言葉なのだよな。対象に対して常に自分が何かを感じているという意味において。 何かを感じている、ということを通して、対象のことを常に意識の中においている、ということを表す言葉だと思うのですよ。 「好き/嫌い」ってのは強い感情ですから。 だから男女の別れにおいては「(相手が)嫌いになった」というのはあまりない。「なんとも思わなくなった」「どうでもよくなった」てのが一番多い気がする。まあ、なんとも思わなくなっても、普通は別れないものなんだがね。 だって、なんとも思わないから。自分には利益にもならんけど、害にもならないわけで。 だから、一番普遍的によくある別れの理由ってのは 「相手がどうでもよくなった→そのまま時が流れる→そのうちに好きな人が出来た→別れる」 「相手がどうでもよくなった→そのまま時が流れる→このままの状態だと自分が先に進めない(次に行きたい)気がする→別れる」 (「→そのまま時が流れる→どうでもいい人間と一緒にいると自分も惨めだし、相手も痛々しくてかわいそう→別れる」でも可) なんか最近冷静になっておりますが、わしの場合は後者のようなことを抱かれたのだと思います。答え解らないから知らないけど。まあわからんから前者かもしれないけどね。
どうでもいい人間か〜。 憎しみを抱かれているよりはマシかな、と思ったけど、憎しみ抱かれているほうがマシなような気もします。そっちのほうが意識されてるってことだからね。動向なんかもある程度は気にしてもらえるだろうしね。「愛と憎しみは紙一重」とはよく言うが、そういう意味か。 でもまあ、そんなことに期待してもどうにもならないしね。 事実は事実(知らないけど)として受け入れるしかないのでしょう。
と、冷静に分析し、気丈に書いてみたけれど、やっぱどうでもいいって思われているのはこたえるねー。軽へこみ。 だって、あちらはもうどうでもいいんだろうけど、わしは未だどうでもよくないわけですから。未だ嫌いになろうとしても嫌いになれず、こんなにわしを苦しめるなんて!憎い!と思っても全然憎むこともできず、なのですもの。ろくでなし、ろくでなし(越智吹雪)、憎みきれないろくでなし(ジュリー)だよいやまったく。 「未練がましいなあ」「いつまでウジウジしとるんだ」「イテエ女!」と自分でも思うが、別に誰に対しても迷惑をかけているわけでもないので謝りはしないわい。なんとでも思われて結構。事実だし。
まあ、誰にでもどうでもいい人間っているしね。でもよりによってそれが私なのか!と思うと、ね。 あーやっぱ嫌われたり憎まれているほうがナンボかマシだわ。 (と、こんなところで落胆していても、知ったこっちゃなかろうけどさ)
そういやふぁるさんにろくでなし、覚えたほうがいいわよ、と言われてたんだった。最近、この声の太さ/低さをどうにか活かせないものか、と思ってゴスペルを習おうとしていたのだけど、あんたシャンソンでもいいんじゃないの、と勧められたのです。 って、ろくでなし、の歌詞はまさに今のわしじゃないか。 パパーラパラパーラパラ・・・!
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2008年11月03日(月)
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