股・戯れ言
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フール・フォー・ユー、フール・フォー・ミー

先日、女子たちで「ファミレスdeドリンクバー飲み放題フリートーク大会」(結構しょっちゅうやってるから大会ってほどでもないが)していたときに、「自分が男に求めるものは何か」という話題となり、
わしが
「性的な部分。私が欲情し、私に欲情してくれること。」
と言ったら、「ちょっと!シノさん、それって薄っぺらくないですか〜?」と非難されてしまったよ。
なんでよ!?
俺はただおまえと、やりたいだけ!っていいじゃないか!
それでキャアキャア言ってた女子が男に求めるのは「やさしさ」なんだそうだ。薄っぺら具合だったらどっちもどっちだと思うのだけど、皆様いかがでしょうか。

まあ、やさしさを求める気持ちもわかる。
「やさしさなんて持ってて当たり前じゃーん」という意見もあるけれど、意外とやさしくない男って多いからね。暴力振るうやつとかさー。貢がれたり、おだててもらえるのが当たり前だと思ってるやつとかさー。

でもお金のことに関しては自分で稼ぐから男をアテにはしないし、
楽しかったり、深い部分の話ができたり、自分をわかってくれたりするのって、友達じゃないかと思ってしまう今日この頃。
自分が傷ついたり凹んだりしたときに、男は決して手を差し伸べてくれない。それどころか邪険に振り払われたり、傷ついていることに気がつかない場合もあるくらいだ。
本当に助けてくれるのは友達だけだ。
助けないまでも、絶対に見捨てないでいてくれるのは友達だけだ。


で、まあ、私は男とは欲情を求め合う関係でありたいのだけど、
その欲情を求め合う男と、友情も持ちたいのですよ。
欲張りでしょうか。
ちなみに、友情を持っている男には欲情は求めません。
だって欲情を求め合う男とはカテゴリーが違うから。別の生き物だから。
って書くと大きく矛盾していることがよくわかるなー。
つまり、欲情を求め合うことと友情を持つことは、両立しないということか。ううむ。へんなことに気がついちゃったな。
ちなみに、
欲情を求め合う→友情に変わるというのがないのだとしても、
欲情を求め合う→家族になるというのはあるのだろうけどね。

私は、友情を持っている→欲情を求め合うというのは実際にあることだと思うのですけれど。逆はないものなのかなー。
欲情を求め合ってしまうと、ダメージや失うものがあまりにも多すぎて、友情はもてないものなのかなー。
まあ、それくらい欲情ってあやういものだからなあ。ダイレクトに肌をさらす分。内側を見せ合い、触れ合い、溶け合わす分。ハイリスク・ハイリターン。


などと言っておりますが、先日、昔ご縁のあった男性から電話がかかってきて、久方ぶりに話をしたのでありました。
以前のわしなら話するのも遠慮していたところだが、時の流れって優秀だね、ああ、元気にしてた?という感覚で話ができた。
それは自分の軸が絶対にブレない、という自信があったからなのだよね。
私は以前の私ではないということを心の底から自信が持てている今だからこそ、話ができたのだろう。臆することなく自分の状況を話せた次第であった。この人に気持ちは持ってかれない、ってわかってたからな。
友情を確立している男にも、同様で、こいつと話をしていても自分の軸は絶対にブレない、気持ちを持ってかれることはない、ってのがあるから友情があるのでありまして。
しかし、欲情を求めあう男には、もう、最初から気持ちを持ってかれているのである。自分の軸なんてブレてもいい、あんたが求めてくれるならば、という心持ちになってしまうのである。
まさにフール・フォー・ユーの世界。
おいらを愛してくれるなら、なんでもおまえの意のままに!だ。


まー、だけどもうここには帰ってこないー(新型セドリック)なんだけどさ。やっぱり、おいら、ひとりじゃだめなんだ。(あ、曲が変わってもうた)


と、最近はルースターズ1stばかりを聞いていたのでルースターズだらけの日記になってしまいましたが、わしは女なのに大江慎也の歌詞に同調ばかりしておるのであった。思春期かよ!
で、「恋をしようよ」を聞いては、ああ、このやりたいって気持ちを皆、いやしいもんだと思ったり惨めなものだと思ったり(かつてのわしも肉体だけ求められるのは自分が惨め、と思ってましたが)して、肉体の関係ってのは人に言うのも憚られる、最低の関係だと思いがちだけれど、
この「やりたい」という気持ちはとてもとても大切なものだと思うのであった。

セックスなんて誰とでもできるけど、誰とでもやりたいわけじゃない。
そこには意志が存在する。この人、と思った人と「やりたい」のだ。
そして、この人にだけ、やられたいのだ。
さらに言うと、この人、というのはこの世でたったひとりしかいないのだよ。

それは全然薄っぺらなことじゃない。罪悪感を感じることでもない。
「わたし」が選ぶことなんだから、全然恥じることじゃない。
と、私は思ってます。
わしは自分のことには自信のない女だけど、この部分に関しては自信を持っているなあ。性的な部分に関して、私は主体的選択をしているからだろう。
いやー単に私に「やりたい」というお誘いがないから、主体的選択するしか
なかったからなのだがね。ザッツ処世術。
2008年10月31日(金)

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