股・戯れ言
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ノー・オーディナリー・試練

先日の日記にシャーデーの「スイーテスト・タブー」が頭から離れん、と書いたのだけど、シャーデーベスト盤行方不明につき、同じシャーデーの「ラブ・デラックス」だけを一日中聴いておりました。
おなごじゃのー、わし。

一年以上前は、自分の女な側面が気持ち悪い、自分が自分じゃないみたいで違和感が!などとのたまっておりましたが、今は自分の女である部分にもだいぶ慣れました。慣れたというか、認めたというか。
わしの座右の銘になりつつあるけど、ピート・タウンゼンド先生(そういや、ザ・フー来日だそうで。見たい!)の
「生まれた時から持ってるものは何も変えられない。だから自分と仲良くしろよ。喧嘩しちゃダメだ」
という言葉を、29にしてやっと受け入れたわけだ。
女ですよ。誰よりも激しくな。


で、「ノー・オーディナリー・ラブ」が繰り返し流れるたびに、よよよと泣くのであった。
まさに、アイ・キープ・クライング。
前回、前々回と愛の存在を否定しておきながら!なんたるザマ!

それはさておき、「私の内側のすべてをあなたに捧げたわ」とか「これ以上ないほどの愛をあげたのよ」とかに膝から崩れ落ちるくらいなんですよ。人が泣き崩れるのを見たことあるか!?君!という感じですよ。
あ、違う曲引用してしまった。
こんなにそのことで心痛めたことないってくらいだし。これも曲違ってしまうけどアイ・クドゥント・ラブ・ユー・モア。
のつもりだったんだが。



で、まあ、東京帰ってきても濃ゆいミーティングが別方面から続いておるのだが、
わしのゴッド姉ちゃんに本日言われたお言葉。


「ヤツザキの愛てのは、口では全力だし、行動する時は全力なんだけど、おんなじくらい自分のやりたいことにも全力っつーか自分は自分なんだよね。
自分のやりたいことは絶対曲げないというか。
相手のために自分を犠牲にすることはしないから、
男からすると、
なんだよアイツ、言ってることとやってること違うじゃないか!俺のこと何も考えてないじゃないか!
ってなるんだと思うんだけど」


核心突きすぎる御託宣!


そうなんでしょうね。きっと、それもその通りなのだろう。
他人の恋愛の話はよく聞くけれど、どのような熱量分配がなされているのかわからないから、どれほど自分を犠牲にしていいのかわからない。
いや、私なりに犠牲にしている部分があるのだが、相手からすればまだまだァ!だったりするのかな。今はもう知る手だてすらないけれど。(今じゃなくても知ることできないだろうが)

まあ、自分を犠牲にしてでも手に入る愛なら、いくらでも犠牲にしますよ。愛というか相手か。自分くらい安いもんだ。
しかし、犠牲にしなくても手に入らないんだよ。
どうしようもないのです。
これが現実。
まさに、あなたと私のような関係は他にはないわ、だよ。



まーゆるやかに蘇り中なんで、いいんですがね。
蘇っているんだか、まだ蘇りきりたくねーと思っているんだか、自分でもよくわからない状態ですが。
あーこのモヤモヤした状態を早く逸脱したい。早くキス・オブ・ライフを堂々歌えるようになりたい。あなたのおかげで蘇ったのよーと。
まあ、すべては自分の選択、自分の決断だが。なんでもそう、決めるのは自分なんだよな。決めてもモヤモヤするのも自分(今まさにそれ)、モヤモヤを振り切るのも自分。
うーん、ノー・オーディナリー・苦悩っつーか試練はまだまだ続く。。。
2008年10月08日(水)

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