股・戯れ言
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ヒア・カムズ・自分探しの雨嵐

まー思い返してみれば私もさんざんいろんなところに行ってるわけですが(ただし国内限定)、
「旅行ばかりしていていいですね」
と言われるとカチンとくることがある。
何もカチンとくることはないのだが、こういう際に使われる「旅行」というのは観光旅行のニュアンスを含んでいるので、観光旅行なんかしてねえよ、とつい返したくなってしまうのだ。
私がやってきた旅のほとんどは「出張」であるし、あるいは「誰かに会いに行く」ことなので、観光を目的とした旅を行っているつもりはありません。いや、観光旅行を完全否定しているわけではない。私も大学の時は卒業旅行と称して観光旅行をしたものだ。その頃の私の世界は「地元友人、大学の友達、一部エロ関係の人々、一部プロレス繋がりの人々」程度のものだったので非常に狭かった。狭い世界の中で「卒業旅行行こうぜ」と盛り上がり、実際にそれをしたまでだ。
ちなみに卒業旅行に行った2月中旬、私はまだ大学卒業できるかどうかわからない身分であったなあ。卒業までに取らねばならぬ単位数44単位(1年間で履修できる単位数48)。卒業できるかどうかは3月までわからぬという状況の中で、3年生までに卒業単位を取り終えていた友人3人と一緒に旅行に行くというのは非常にリスキーな行動であった。成田までの特急車内で「こんなに浮かれているけど卒業できなかったらどうしよう」と話していたもんだ。この時からすでに「見る前に跳べ」を実行していたんだなー。実際卒業できて今に至るわけだが。
その卒業旅行の行き先はタイでした。
なぜタイであったのかというと、「アジアンリゾートに憧れがあったから」「東南アジアのエキゾチックな感じが好きだったから」「海岸での野外レイブに行きたかったから」などというものではなく

「映画『卒業旅行』で織田裕二がタイ、というかチトワン国に行っていたから」

というだけのものであった。
私はこの映画が好きなのだ、くだらなすぎて。今でも従姉妹と「卒業旅行は何度見てもいい!孔雀王と同じくらいいい!」と話しているくらいだ。他の人たちにとってはどうなのか知らないが、私にとっては卒業旅行=チトワン=タイなのである。同行した3人の友人たちは別に行き先はどこでもよかったようだが、私が「何が何でもタイじゃなきゃダメだ!」と力説し、実際に旅行代理店行って話をつけてきたので(この頃から思い立ったことも実行していたんだなー)すんなりと応じてくださった。ありがたや。
で、実際に行ったタイ。卒業旅行にしては長い8日間の滞在であったが(卒業できるかどうかわからないくせに)、友人らとの行動は時に楽しくもあり、時にしんどくもあった。時はおりしも旧正月、タイだというのに行くとこと行くところ中国人だらけ/一晩中爆竹の音が鳴り響くという異常な状況、船で1時間くらい離れた島に行ったらその島もほぼ100%中国人というのはおもしろい経験であったよ。中国行ってないのに中国まみれ。あれ?行き先間違えた?て感じだ。
そしてしんどかった、という経験から「私は割り勘というのができない人間なのだ」ということを学んだ。きっちり割るくらいなら大目に出すよスタンスを自覚しました。細かいことに対応できない気質だった。人間が粗くできてるらしい。
何はともあれ、卒業旅行で学んだことは多かった。
その最たるものが

「観光は別におもしろくない」

というのと

「海外は言葉が通じないから得るものが少ない」

ということだった。
現地で知り合いができるなんてことはほとんどないし(あるのかもしれないが)、観光地はツアーの日程に組まれていたから行ったけど、わざわざ行かないでもいいわなーと思ったのですよ。大学の時のバイト先にいた化粧品販売のお姉さんが「学生時代はバックパッカーやってて、現地でいろんな人と知り合った」と言っていたが、それ、ウソだろう、と思ったよ。知り合ったのは現地の人たちではなく同じようにバックパッカーしてた人たちだと思われる。私がタイで話しておもしろかった他人は現地の人でも同じような卒業旅行で来ている人たちでも無論バックパッカーでもなく、「タイ古典舞踊ディナーショーで隣に座っていた農協売春ツアーのおっちゃんたち」だけだったもんなー。テーブルに置いてあったミニバナナを持って「おっちゃんのアレ、これくらいやねん」と言ってきたヒヒ顔のおっさんは今も元気なんだろうか。どうでもいいけど。




何故このように長々と卒業旅行の話をしてきたのかというと、旅行てのはたいしておもしろいものではない、と思っているからなのですよ。観光だの癒しだの、そういうのが目的だとしたらなおさらだ。言い方を変えると、目的がある旅はおもしろいのである。売春ツアーであっても、それはセックスがしたいという目的があるからおもしろいものだろう。私は残念ながら女であるので売春ツアーを行ったことはないが、自分が男だったらたまらんだろうな。「あと5日寝れば女抱き放題!うはは!」というのを支えに生きたりもするだろうな。
今の私の旅も出張(仕事する)だとか友人に会いに行くだとかだったりするのでちゃんと目的がある。で、目的のある旅ってのはその目的とは離れたところでハプニングがあったりするのがまたいい。私なんかはそっちのほうが目的で旅してるのかもなーと思うときがあるくらいだ。いや、そんなことないけど。
そんな私が一番どうでもいい、そしてうっとーしーと思っているのが

「自分探しの旅」

というやつである。
探すな!
ああ、もうこうやって打っただけでもウゼー。
とにかく目的がないのがつらい。目的=自分を探すことなのかもしれないが、そんなものは探してどうにかなるもんじゃない。どこにも落ちてはいないのだ。
自分探しの旅をしていたり、「自分のやりたいことが見つからない」なんて言ってる人たちは旅に出る前に働いてみてはいかがかと思う。工場や倉庫で流れ作業のバイトでもやったほうが百倍有意義だ。単純作業を繰り返しながら自問自答を繰り返したりいろいろ考えてみなさいよ。あるいは自宅で延々考え続けなさい。っていわゆる引きこもりだが、自分探しの旅やってる奴よりそっちのほうがまだマシだ。ただし自宅でえんえん考え続ける場合はインターネットは見ない事、というのが条件ですが。そんな状況でネット見ると思考が停止して2ちゃん住人にしかならないから(あ、でも2ちゃん住人てのはそれはそれで自分が見つかったてことになるか。しょぼいけど。下の下だけど)
ああ、そうなんだよ、自分探しの旅している人って思考停止の気があるからやなんだよなー。「旅をする」というのは動くことなので、それだけであたかも考えている気にさせられたりもする。考えに準じて行動しているように思える。しかし実際はそんなことはないのである。何かを遂げる目的のために旅をすることはいいことだ。私の持論に「長距離移動は女を強くする」というのもあるくらいですよ。ただしそれは果たすべき目的のための移動(手段)であり、移動自体が目的ではない。
自分探しの旅てのは「自分探し」が目的のはずなのに、それがあまりにも抽象的で曖昧なものであるから「旅」のほうが目的になってしまいがち。いや、実際そうなんだと思う。だからそういう人たちの話は「カンボジアやインドに行ったことがある」以上はない。以上はないのだが、そういう奴らに限って「人間は自然志向で生きるべき」「社会の枠組みが不自由に感じる俺」みたいなことを言い出すのもタチが悪い。だったらそっちに定住せいよ。その覚悟はないからゲストハウス暮らしをしたりするのがまたどうかと思ってしまうのです。



自分探しの旅の行き先人気地区は東南アジアが多いようですが、日本国内のある地域にも多いですね。
って私が現在いる日本の南のほうなんですけど。
私も東京からちょこちょこ足を運んでおりますが、毎回目的がありますし、自分探しの旅の人たちが集うところにはあまり足を踏み入れないなあ。ゲストハウス泊まったことないし。一度だけ荷物を置かせてもらったことはあるが。
自分と同じような境遇、同じような考え、同じようなことで悩んでいる人に出会うと「自分はひとりではない」と思えるし頼もしい気持ちになるのはよくわかる。しかし、「自分探し」で「自分はひとりではない」なんて仲間に出会ってはいかんと思うのですよ。他の誰かと同じ道を歩むのが嫌で「自分探し」してんじゃないのかよ、とツッコミ入れたくなるワイ。私にも「自分が何者なのかわからない」と悩んだ時期はあるし、今だって何者でもないが、私は労働者であり、労働しているからこそこうやって遠出ができるわけだ。いろいろな経験を得ることができるわけだ。自分とはかけ離れたところ(物理的なことだけでなく、立場や年齢や考え方も含む)にいる人間を知ることができるわけだ。そういう中から自分を知るのですよ。そうやって自分にあるものを発見してきた。(発見できたことは先ほど書いた「割り勘が出来ない」とか「時間にルーズ」とか「調子に乗って呑み過ぎると翌日がしんどい」とかばかりだが)

旅ばかりしていることだって本当は誇るべきことではない。腰を落ち着かせることができる場所がないだけだ。ここでやっていこう、と覚悟できる場所がないだけだ。正直な話、私は以前この日記で旅記録を書きとめていたけれど(股旅・戯れ言というブログにまとめておりますが)、今は旅をしても書くのをやめてしまった。どこに行ったかくらいは書くけれど、内容を事細かに書くことはない。というのは、前述の通り、旅をしていることは誇るべきことではないと思ってしまったから。旅を目的にしていた部分を自覚し、それは恥ずべきことなんじゃないのかと思ってしまったから。覚悟できる場所を心の底から欲してしまったから。
折りしもお仕事に纏わる状況が変化することになり、この先出張も減っていく見込みであるので、旅記録を細かく書くことは今後おそらくもうないだろう。

だから、どこかに落ちている(と信じている)自分を探している人たちって薄っぺらいなーと思ってしまいます。それは私の偏見なのかもしれません。中には魅力的な人間もいるのかもしれません。けど、やっぱり自分を探しちゃっている時点で私にとってはどうでもいいな。自分なんてみっともないもんだし、仕事なんてなんでも汚くてしんどくてつらいものばかりだと思うよ。そういう自分と仲良くしたり、うんこみたいな仕事してみても楽しく生きていけるし、うんこみたいな仕事でもいろんな機会に恵まれたりするもんだと思う。その時に重要なのが自分の芯というか、考えなんではないのかと。選択する時の道しるべなんではないかと。



と、説教くさいことを長々と書きましたが、さっき知り合った人(同年代女子)が
「こっちに移り住んでくる何もしないないちゃーが嫌。自分探しだのなんだの言って現実逃避でしょ。こっちの人間は仕事してるっつうの」
という話をしていたので、ちょっと書いてみた。
てめえの現実からは逃避できているかもしれないが、そこは誰かの現実なのだ。
誰かの現実を踏みにじっていると言う自覚はあるか。
踏みにじってでも得たいものがあるという覚悟はあるか。
ないんならやめちまえ。きっとそんな旅たいしたもんじゃない。
(これは自分に向けての言葉でもある)



ああ、もっと違うことを書かなければならんかったのに重くなってしまった!
南の島にいるのになあ。おかしいなあ。毎日寒いからしょうがないのか(毎日気温16,7度くらい)
関係ないがユーリズミックスの「ヒア・カムズ・ザ・レイン」は名曲だなあ。
ここも毎日雨ばっかだよ。
2007年03月07日(水)

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