股・戯れ言
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なんだったんだ?オギナワ6days コザディニスタ!

俺の日記に時系列はない!
というわけで現在は9月25日で、ここ最近展開している沖縄記録は9月13〜18日のものなのだけれど、今から書くのは9月23日のことです。ややこしい。
その9月23日に前回の日記にも書いた倉地久美夫さんのライブを見たのです。いやーなんたるナイスタイミング。
倉地氏は福岡県在住なので滅多に東京ではライブをやらんのです。
前回の日記を書いた際に久々に倉地氏のHPを覗いたら9月23日に秋葉原でライブって書いてあるんだものな。これはいかねばならん。つうわけでローカル列車やSLを乗り継いで(お彼岸だったので墓参りに行っていた)ライブに行きましたよ。

結論から言うと、この倉地氏ライブ、今年見たライブの中で2位ですよ。
1位はやはり細野さんなのだけど、細野さんがライブやらなかったら1位だったな。それくらいズギャンと衝撃なライブでした。

前回見たのは2年前で、その時は「三上寛が劇画ならば倉地久美夫はエンピツ画のような細さだ。すごく繊細な絵を書く感じ。」と思ったのだけど、今回見てみると、実はいろんな色を駆使しているかのようにカラフルでトリッキーで幻想的、そして声はよく通る。色鉛筆というよりクレヨンのようだ。声色を使い分けたり、へたくそギターを人力サンプリングのように弾いたり。でもそれらすべては言葉のための演出なのが、彼が詩人たるゆえんなんだろう。
最後の「スーパーちとせ」という曲なんか、名前だけ聞くと北海道あたりの特急っぽいが「僕は福岡の田舎に住んでおりまして、近所のスーパーマーケットの名前なんです」と言っていた。スーパーマーケットの曲なのに心の奥がじんじんした。スーパーマーケットの曲をすんなりと受け入れさせたのは、クラッシュと倉地氏だけだ。(クラッシュは別にスーパーじゃなくてもかまわなかったんだろうが)
こんな人他にはいない。100年後に大評価されたりすんのかな。



そしてまたもや沖縄滞在記。
これを早く書かないと次の日記を書くことができないのです。

3日目
今回の長丁場滞在は、気ままなぶらり旅つーかぶらり日常生活をしに行ったようなもんなのです。
だから特に予定は決めず。黙ってりゃずっと那覇にいたかもしれません。それでも十分楽しい。
しかし、私も沖縄訪問は3回目。初回時に薦められながらも、「イラクから帰還した米兵が多いんでひとりで行くのはキケン!」という情報を聞きつけて行くのを断念せざるをえなかったコザに足を伸ばしてみました。
今回唯一の観光かもしれんな。
ちなみに私のコザに関して持っていた前情報は「日本じゃない、って感じ」という一点のみ。具体的にどこにあるのかも、コザが一体どういう字を書くかも不明。地図もなんも持たずに出かけると言う無謀ぶり。毎度の事ながら「なんとかなるだろう」という腹づもりでした。毎回なんとかなっていないことなどすっかり忘れていた。

とりあえず旭橋のバスターミナルに行ってどのバスに乗ればいいかと物色していたら、知らないおじさんに「あんた、どこ行くね?」と呼び止められる。(なんかこういう呼びとめ多いな、沖縄)
「コザに行こうかと思ってて」と告げると
「コザなんて今はなんにもないさー。若い人は皆北谷のアメリカンヴイレッジよ。」と言われる。
実はコザと北谷がどのような位置関係にあるのかもわかってなかったのだけど、確か北谷もアメリカっぽいとこだというのは覚えていたので勝手にコザと北谷は隣町なんだと判断し「ああ、別に北谷でもかまわないんですよ」と答えた。
そしたら「あんたー、ボーイフレンドいないの?北谷はボーイフレンドを作りに行くところさー」
なんだそりゃ。北谷ってナンパスポットなのか?さっぱりわからねぇ。
「いやーそういうのはどうでもいいンすわ」とあしらったら「今日は天気がいいさねー、海キレイさー。タマグスクに海覗きに行くといいさーおじさんが連れて行くさー」とわけのわからないことを言い出したんで丁重にお断りをする。
海はどうでもいいのだ。じいさんと一緒に行動するつもりはない。
そもそも今にも降り出してきそうなグズついた天気だっつうの。あほか。
つうわけで気を取り直してコザを目指すことに。初心貫徹。
そういえば沖縄で初めてバスに乗るのだった。沖縄は鉄道がないから(ゆいレールは鉄道とは言いがたい)、バスが鉄道のようなもの。車窓を見ることができると思うとワクワクする。

大渋滞の那覇を抜けると、左手側の車窓はすべて基地。
米軍基地ってこんなにデカかったのか。知らなかった。よく聞く話だけど、ほんとに片側全部外国なんだな。しかも大きさがアメリカンサイズ。肥満の国。肉食エリア。以前、仕事で横須賀に立ち寄った時、USネイビー基地が我が物顔でドーンと構えていたのを見て「こえー!」「おっかねー!」(主に角刈り外人に対して)と萎縮したもんだが、沖縄は横須賀どころじゃない。横須賀の100倍くらい「こえー!」「おっかねー!」だ。
こんな肉食文化と泡盛のんだくれ文化が違和感なく同居しているのだから沖縄は寛容な土地だなとも感心するけれど、でもやっぱり基地はないほうがいいよ。おっかないから。バスの上空も軍用機がバサバサ飛んでいた。他の土地じゃあまり見られない光景だ。それも結構低空飛行なのがやっぱりおっかないです。

そんな基地づくしな光景ばかりを見ていると眠くなってしまうのだけれど、停留所の地名がやはり聞き慣れないので耳を奪われっぱなし。片側基地地獄を通り越すと、バスは坂道をぐんぐん登っていく。今度は民家が多くなってくる。
長年強風や豪雨と戦い続けたためなんだろうか、沖縄の民家って武骨だなと思う。むき出しのコンクリート3階建て、というのをよく見かけるけど一体何年前に建てられたのか皆目不明。一目で「あ、ものすごい老朽化」とわかる。まるでアジアのどこかに来たようだ、と思わされるのもこの建物たちのおかげではあるんだが、もうちょっとなんとかせねばなるまい。地震があったら一発で倒れそうだ。
現実は美ら島じゃないところも多い。
で、これまたうとうとしていたら(2時間バス乗りっぱなしじゃ仕方がない)バスの外は激しい雨。
スコールだ。外を歩くのしんどそうだなーと憂鬱な気持ちで空を見上げると、遠くのほうは晴れていた。ああ、これがカタブイってやつなのか。改めて南国に来てるんだと実感する。


とここで気づいたのだけど、コザってどこで降りればいいんだろう。


バスの前面にどこを経由してどこに辿り着くかは書いてあるのだけど、実際にコザという停留所はあるんだろうか?コザの中心街はどこなんだろうか?そもそもコザってのは町なのか?市ではないよな確か。コザ独立国という言葉を聞いた事があったが、コザって通称のような気もするしなぁ・・・などと思いを巡らしているうちに、ちょっと繁華している地域を通り過ぎる。
もしやここがコザだったんではないのか。
一抹の不安。
でも「次はコザ」というアナウンスも流れてこないしなぁ、あ、でもほとんどの人がこのあたりで乗降車してるではないか。不安募る募る。しかし自分を信じることが大事。動揺するな、俺。コザはきっとこの先にあるのだから!
「間違ってるかも」という不安で何度も途中下車をしようとしたが、じっと耐えているうちにやっと運転席横の電光掲示板に
「次はコ   ザ」の文字が!
コザキターーーーーー (゜∀゜)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
満を持して降りるのです。



「立ち並ぶアメリカンな店の数々」
「行き交う外国人の多さに、まるでアメリカに来たかのような気分になれる」
という、日本にいながらアメリカの大学!ばりの評判ばかりを耳にしていたのに
目の前に広がるのは

・いかにもニッポンな靴屋
・店の正面に立たない限り見分けがつかない、「やぎ汁」と書かれた食堂
・「今、店主は留守にしております」と書かれた紙の貼ってあるリサイクルショップ
・部活帰りの高校生

ザッツ日本!全然アメリカンじゃねー!

いや、表通りにいるからこんな日本な光景しか目に付かないのだ、と必死に思って路地裏に入るとどの店も閉まっているわ坂道キツいわおじいやおばあしか見かけないわという体たらく。私が向かっている場所が間違ってるんだ!と必死に思って歩けば歩くほどコザ停留所は遠ざかり、店すらもなくなってきた。
「自分を信じてはいけない」
今までだって何度もこんな間違いしてきたじゃないか。なぜ学習しない?自問。もちろん答えは明確すぎるんだが。
これはもう引き返すしかないんではないのか、と途方に暮れかけていたところ前方にパトカーを発見。
そのパトカーのぴったり後に止まっているのは、「ミニタリーポリス」と書かれた車だった。
おお、MPだ!
やっぱりコザはアメリカ!
心の中では手を叩くが、実際にはガイル少佐のようなMPが怖いのでそ知らぬふりをして通りかかってみる。
黒人米兵2人と沖縄のおじさんおばさん二人が沖縄県警とMPの取調べを受けていた。床屋の前だったのだけど、米兵がなんかやったっぽかった。やっぱりこえーよ。そりゃひとりで来てはいけない土地だよ。
もし4月1日にコザに独りで来ていて、こんなMPとか呼ばれるような事態になっていたら・・・いや、MP呼ぶ以前にアイ・センド・S・O・S・トゥ・ワールドって送っても届かないのかもしれないし。
頭の中でポリスを歌いながら通り過ぎる。怖いとかいいながら暢気なもんだ。
途中からクラッシュの「ポリスとコソ泥」に切り替えていた。黒人米兵がコソ泥だったとは到底思えないが。

引き続き中心街求めて引き返すわけなんだが、十字路に差し掛かったのでこれはこの道を曲がればいいんではないのかと適当に歩き出してまた失敗。
コザからどんどん遠ざかっていくばかり。
もう、歩き回っている時からわかっていたのだ。バスで通り過ぎた、あのちょっと繁華しているところがコザの中心街だったんだと。
しかしそこすらどうやって戻るのか不明。もしこの時、「どうやってきたのか、忘れられるかな」と細野さんが問いかければ私は自信200%で答えられた、「はい、忘れてしまいました」と。
いや、忘れている場合ではない。なんとか那覇行きのバスの出ているバス停まで戻るしかない!
というわけで「おそらくこっちのほう」にあるんだろうと路地裏に入り込み、「おそらくあっちのほう」に行けば辿り着けるんだろうとくねくねと突き進む。アバウト無間地獄。いつだってそんな感じで乗り切れてこれた、今日だってきっと乗り切れるだろう。やっぱり私の座右の銘は「私は今まで何度も失敗してきた。これからも繰り返していくんだろう」(byルー・バーロウ)なのだ。
そんな風にくねくね進んでいくと、ドアを開けっ放しにした民家の前を通りかかる機会も少なくなかったんだが、皆決まって不思議そうに見てくる。ここいらの人ではないからな。
そしてそんな民家とともに並んでいるのはほぼ廃屋と化しているコンクリート剥き出しのビル。バスから見たモノが身近に感じられるのは不思議な光景だ。沖縄であっても、街中であっても過疎化は深刻だ。現実は全然美しいものじゃない。荒んでいたり、朽ち果てていたりもする。でもここは、そんな具合も含めて、まるで30年くらい前で時が止まっているようなのだ。
実はこの日は、ほんの少しだけ那覇の新都心にも行ってみたのだけど、つまらないのなんのその。本当の沖縄はきっとこういうところに行かなければわかるまい。ありきたり過ぎて、通り過ぎてしまいそうなところ。でもなくなってしまうとなんだか切なくなるようなところ。私はそういうところがいとおしくてたまらない。
沖縄だけじゃなくて、日本のどこに行ったって田んぼの真ん中をぐずぐず歩いたり、山間の、民家と民家の間にある細い坂道を下ったり、シャッター閉まりっぱなしの商店街を通り抜けたりしないとおもしろくないと思うのです。
すなわち「どこに行っても歩きっぱなし」ということなんだけど。
永遠の「踏み出せば、その一足が道となり、 その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」気質。

ほとんどの店が開いていない商店街を抜けると、バスが通っていた大通りに戻ることが出来たのでその道を歩いて戻っていく。
こいつがしんどかった。ものすごい坂道なんです。まさに心臓破りの坂!
しかも未だカタブイ中。雨ザーザー。
そして当方はゴム草履なのであった。劣悪環境。
当然ながら他に歩いている人はいないので渋滞した車道から投げかけられる視線がやや痛い。「なぜこんな雨の中を・・・?」と思われてたんだろう。私だって知らないさ!
しかしこれまた道脇の建物や看板なんかを眺めながら歩いていたのでなんとか乗り切る。
極真カラテはどこに行っても見る看板だなー。
なかでも一番興味を惹かれたのが、一見ただの老朽化したビルだと思っていたのが映画館だったこと。
外から見たところ、単館系映画のポスターが貼ってあったのでへーこんなところにも単館系映画館があるんだなと思っていたんだけど、あとから知ったが実はその映画館「コザ琉映」は歴史ある成人映画上映館だった。成人映画って感じはみじんも感じられなかったぞ。これはおもしろいのでもう一度コザを訪れることがあるなら立ち寄ってみたい。

そんな感じに歩いて歩いて上って上って、やっとのことで
ちょっと繁華しているところキターーーーーー (゜∀゜)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!
コザではなくゴヤというところであった。
・・・。そりゃーわからんよ。
確かに外人率は高い。が、基本的には先ほど歩いたあたりとなんら違いはない。
きっとこのあたりの裏道に入れば、「日本にいながらアメリカにいるような気分」に浸ることが出来たんだと思う。


もう十分歩いた。
これ以上は必要ないかな、と思った。


すぐ後に来た那覇行きのバスに乗って戻った。
宜野湾に沈む夕日が真っ赤で、その時ようやく時間の感覚を思い出したような気がする。
国道58号線はやっぱり渋滞していた。




そしてまだまだ沖縄編続く


余談
後日、テレビを見ていて「あーコザ独立国ってことはてるりん館があったのか」ということを思い出す。
リサーチ不足。行けばよかった。
まあ、そのへんは次回のお楽しみにとっておこう。成人映画館も潜入したいしな!
あと北谷とコザは全然隣町じゃありませんでした。知らなかった。今日は九州・沖縄地図でも買って帰ろうかな。
2005年09月25日(日)

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