ブルートレイン、車上の愛(後編) |
(まずは「ブルートレイン、車上の愛」前編、中編をお読みください。続きです)
ディスカバリー・ウェストのキャンペーンが盛況なのかそうではないのかはわかりかねる。新幹線内のチャイムだって鬼束ちひろの「いい日旅立ち」に変えられているくらいだから(いや、あれは山陽新幹線区間内始発の新幹線だけに限定されてるんだろうか?)力の入れ具合も相当なものなんだろうということはわかるのだが。 なんにせよ、私にとってはこれが初の西日本横断の旅である。通過するだけで滞在はしないんだけど。 西日本はトンネルが多いという話は聞いていたが、それは新幹線に限った話なんだろうと思っていた。実際のところは、在来線も結構トンネルを潜る。いや、よく考えれば東日本の在来線だってトンネルを潜る回数は多いのだけれど。 この旅の間、トンネルを潜れば潜るほど「夜汽車のブルース」が頭をよぎった。あーなんかいいこと無いか、そう、なんかおもしろいこと無いか、、、いや、今、コレに乗ってることが一番おもしろいことだよエンケン!と言いたい。 とりわけ徳山だか新岩国だか(名前失念)で新幹線乗り換え客がどっと降りた後の「はやぶさ」は貸切具合が増して愉快でならなかった。 食堂車に出てみる。今は食堂ではなく、ラウンジとして使用されているのだがそこの客のまばらぶりといったら!ああ楽しい。ああ愉快でたまらん。 温泉にせよ食堂車にせよ飲み屋にせよ、私は「貸切状態」が好きで好きでしょうがないのである。貸切状態の快楽は夜中の会社でも味わうことができる、もっとも身近なんだけどもっとも「ラッキーじゃないと遭遇できない」快楽だと思う。 しかしこんだけ貸切状態だとステーキでも食いたくなるぜコンチクショー。 朝であるから、腹が減ってきたのである。車掌のアナウンスが入る。 「下関駅で5分ほど停車いたしますので、そちらで駅弁当をご購入ください」 ああ、もうすぐ下関なのか。 どんどん本州の一番端っこに近づいているのか。ホントに遠くにきたんだな私は。沼津も茨木も遠い昔のように思えてならない。まだ半日くらいしか経過してないけど。 下関に来たのだから是非ともふぐ関係の駅弁を食いたいところだ。朝からふぐ寿司とはステーキばりに豪勢だな。値段だって結構張るだろうに。いや、ここではつつましい駅弁を食べといて、九州に入ってからうまいもんを食いまくったほうがいいんではないか。
などと考えていたのは杞憂で終わった。 下関駅に着いた途端、電車を飛び出した車掌や駅員たちが走り回って慌てだす。
・・・売店がお休みのホームに停車してしまったらしい。
駅員の人たち、皆「あれ?」とか言ってやんの。 「あれ?」じゃないだろうよ。 てか休むなよ。 かといって反対側のホームにある売店もとても営業を行っているようには見えない。地方ローカル線駅の悲劇。シンカンセン・キルズ・ローカル駅スター。勇気ある老人は猛ダッシュで隣のホームまで弁当を買いに行ったようだが、限りなく何もないホームから眺める朝の下関の風景に侘び寂を感じてしまって、とてもダッシュなどをする気にはならなかった。 昔はこの駅から上京する若者も多かったことだろう。 人の移動が早くなり、あらゆる意味で「去る」ことだけが多くなっていく。駅だけが残される。やがて老いていく。忘れられていく。必要とされなくなる。「会いにくる」ことがなくなる。終わる。そんな風に時間が過ぎていく。 この駅を毎日決まった時間に訪れ続けた夜行列車「あさかぜ」はかなり老朽化した列車なのだろう。乗る人もだいぶ少なくなっていたはずである。 それももう3月になったら訪れることはない。 とても哀しい。 が、私だってこの駅をこの線で訪れることはもう二度とないのかもしれないのだからそんなこと言えた義理ではない。 でもいつか来ようと思った。出張にせよなんにせよ。 本州の終わりはちょっぴりさみしい。
そんな感傷に浸っている間もなく、海底トンネルを越えた列車は九州に辿り着くのである。 小倉。おぐらではナイ。 九州で小倉ですから、気分はすぐに切り替わって俺脳内は「シャウト・トゥ・ザ・トップ」でいっぱいになるのである。字面からのみの連想だけど。 軽快なリズムが頭に充満するくらいだから、小倉駅は下関とは打って変わってホームに人が結構いるのである。それなりの栄えぶりなのである。 なんでかしらないが南国の陽気な空気を感じる。これがめんたいの本場なのかとか思う。どこかに鮎川誠のようなオッサンがたくさん居るような気がする。 そんなことを思っているうちに時刻は11時30分過ぎ。 なんと、2時間35分の遅れということである。 3時間遅れていたはずだからどこかで巻き返したのだろうけど、それにしても2時間35分の遅れとは!とりあえず2時すぎには熊本に着いてくれるらしい。それだけでもありがたいと思うようにしよう。 食堂車で見かけた老夫婦は「ナイスミドルパス」(65歳以上は格安の周遊券)を使っている様で時間はあまり気にかけていないようだった。羨ましい。 時間に追われない生活をしたいものである。あ、俺が時間に追われるのは時間ギリギリまでダラダラするからだった。
畑や工業地帯の多い地域を通り抜けて、列車はだんだん街に近づいていく。 博多である。 長かったー!新幹線ならば6時間、飛行機ならば1時間半くらいで辿り着くのに18時間である。本来ならばもう熊本に辿り着いている頃だろうに。 腹も減ってきた。イライラが募る。あとどれくらいでたどり着くのだろう・・・と考えている私の視界に飛び込んできたのは、博多駅のホームで奇声を上げるガイキチの方でした。カーテンをそっと開けてホームを見ていたんだが、カーテンの向こうに人がいることに驚いたらしく、アピールするように騒ぎ立ててくる。こわい。窓を手で叩かんばかりの勢いだ。ああ、こっちは博多駅着いた記念にホームを写真で撮りたいのに! 写真を撮ろうとするとそこに写ろうとしてくるので、車両を変えてなんとか撮影をした。ホントは「博多」という表札が撮りたかったのに、かろうじて撮れたのは「めんたい」と書いてあるキヨスクだけであった。とほほ。
博多を過ぎると、実は鳥栖、久留米、大牟田、熊本という停車順らしいのでそんなに遠くはないのであった。長い長い旅もフィナーレは近い。 しかも鳥栖では東京から長い間連れ添ってきた「さくら」(長崎行き寝台特急)とはお別れとなる。長崎までの道のりはこの後も長いんであろう。そんな長崎行きの寝台特急も今(2005年3月現在)はもう走っていない。いつか乗るからね〜と思いながら鳥栖で別れていったんだが。 切ないなあ。 話は戻るが、鳥栖に着く前に車掌さんがまた回ってきて、「駅弁、どこでも買えなかったんで、鳥栖で買えるようにしましたから」と言われた。 オイオイ、鳥栖でメシ買っても熊本まですぐだろうよ。と即座に思ったが、せっかくなので鳥栖で弁当を買うことにした。 が、鳥栖ってなにが名物なのかわからにゃい。困った。 字面だけで勝手に鳥モノがうまいのだろうと判断し、どこでも手に入りそうな鳥そぼろ弁当で手を打ってしまった。 しかし、同じように寝台を降りて弁当を買う人を見るとなぜか皆うどんのようなものを買って車内で食べているではないか。テイクアウトうどん・・・?なんでそんなにうどんに群がるの?そもそも鳥栖駅の弁当売り場も「駅弁」とは書いてなくて「うどん」って書いてあるし。 その後オオツボさん(佐賀県出身)に教えてもらったんだが、鳥栖駅のうどんはそれはそれは有名なモノなんだそうだ。 知らなかった・・・やっぱりリサーチは大事ですね。
さてホントに最後のグランドフィナーレである。 晴れた空、山の向こうに見える海は有明海・・・20時間かけてここまで良くたどり着いたなぁ、と思うと涙が自然に溢れてくる。よく頑張った、俺。 ここ最近で一番何かを成し遂げた気がした。途中で諦め(=新幹線乗り換え)なくてよかった・・・
などと思うことはなく、もちろん涙なども流してなくて、鳥そぼろ弁当をこぼしたり食べたりしているうちにあっけなく熊本に到着してしまった。 時刻は14時50分。 出発したのが18時9分であるから、20時間40分の旅であった。 たぶん今後、私が南米にでも行かない限りこんなに長い移動をすることはないんじゃないだろうか。 そして熊本駅下車後は、駅直結のJR九州直営ホテルに宿泊だったのでらくちんでした。ちゃんと作業前に風呂も入れたし。
熊本行くまでがいろいろなことがありすぎたので、熊本で起こったことはそんなにたいしたことなかったな。ただ、翌日客先に直行せざるを得なくなったため、熊本でスーツ買うハメになってしまったけど。
帰りは言うまでもなく飛行機でした。早かったです。 眼前に広がる九州と四国が美しかった。
またいつか、寝台列車に乗りたい。 それまではもう、どの路線も潰れないで俺を待っていて欲しい。 必ず経費で乗るからな! 今度乗る時はちゃんとコルトレーン持ってくから!
ああ、うまくまとめたかったのにタモリ倶楽部の空耳アウォード見ながら書いたからくだらなくなってしまった。後に書き直すかもしれん。
|
2005年03月04日(金)
|
|